暑い日常が戻ってきました・・・

 暑いです。暑いんですよ。もー、暑いのはいいデス。
 あんまり暑いので仕事中、転寝してしまいまた。・・・いつものことか。
 ナポレオン三世の評伝をちょろりちょろりと読んでいます。有名なナポレオン・ボナパルトの甥で、ルイ・ナポレオンボナパルトが本名のようです。
 未熟なクーデターを二回ほどやって失敗。その後、王政と共和制が革命を繰り返し、政情不安定な状況に飽いた大衆に向けて秩序と安定を訴えて立候補。大統領になり弱体与党しか持たなかったにも関わらず、第一党の共和派が失点を重ねたのに乗じてクーデターを実行。再選なしで権限を押さえ込まれた大統領から、アメリカ型の強い権限を持つ任期十年の大統領になり、ナポレオンの名前を背景に国民投票を得て皇帝になります。
 皇帝という存在を、中国の『天子』のイメージで捉えていると、国民投票で選ばれた皇帝ってなんじゃろ?と思うのですが、古代ローマの元首制といわれる時期の皇帝は、ローマ市民と元老院の承認を得て初めて皇帝となれたそうですから、あながち間違いでもないようです。
 皇帝というと専制君主のチャンピオンというイメージですが、ナポレオン三世には国民の貧困根絶を政治目標にするという抱負があったらしく、旧王家のオルレアン家の資産を没収して、清潔で快適な集合住宅づくりや社会保険事業の基金にしたりと、結構近代的な政策をとっていたりします。
 まだ読んでいないけど、現在のパリの町並みをつくったのはナポレオン三世の命令で区画整理を行ったオスマンという人らしいです。
 近代フランスの父といってもいい存在ですが、共和派を排撃したクーデターの印象が強いため、更に大新聞を統制したりしたため、インテリやジャーナリストからとことん嫌われ、悪意に満ちた風評だけが飛びかい、1980年代に左派が力を失うまで、彼の功績を再評価する動きはなかったようです。
 まぁ、戦争に弱いイメージがあって、陸軍大国だけど戦争にはめっぽう弱いフランスというイメージはナポレオン三世からきているのかも。
 まだ途中読みですけど、同時期イギリスはヴィクトリア女王の時代なんですよ。
 なんとなくイメージが沸いてきますネ。