いい天気でしたね・・・

 仕事で大失敗しました。うー、自分に腹が立つ!むかついて暴走したのにも腹が立つ!年を取ったが青いって事ですか?なんだかなー・・・
 そんななかで読み終えました。

ローマ人の物語 (14) キリストの勝利

ローマ人の物語 (14) キリストの勝利

 塩野さんには古代ローマ人に対する『愛』があると思います。そういう文章だと思う。それはカエサルに代表される古代ローマ人の寛容という生き方、考え方、敗者をも自分たちに同化し、その活力を生かしていく方法論でしょう。
 その古代ローマ帝国も終焉を迎えます。人々の考え方はとっくにカエサルたちのものとは似ても似つかなくなり、重税、それに支えられた肥大化した官僚、軍組織、保護された非寛容なキリスト教の蔓延(そんな印象がある)、そのキリスト教が起こすさまざまな内ゲバ、そして決定的なのは国境外に留めていたゲルマン族のローマ帝国内定住を、それも同盟関係という皇帝の指揮下に置かない形での定住を認めてしまった為に、ローマ帝国は一気に溶解していきます。
 中華帝国の組織や支配形態というものは、まだ完全に明らかになっていないと思います。少なくとも中東のペルシア帝国のような専制君主個人の力量に頼り、組織として未熟なものであった国家とは違うと思いますが、ただ下部の共同体に依存した『国家』であることは間違いないようです。少なくとも北宋からは。
 ローマは最小限の国家組織を最大限に生かした国でした。有機的に下部の共同体や氏族と軍隊、皇帝が結びつき、三百年余りの間地中海世界を統一してきました。世界を守るという事でローマ市民が一致して協力し、そしてその事業に携わる意思がある者は、いくつかの条件をクリアする事で誰もが参画できました。もちろん直接税の免除など厚遇されている魅力もありましたが。
 ローマの崩壊は徐々に徐々に、ゆっくりと進行しました。ローマ人の考え方が変わっていき、寛容の精神がキリスト教という一神教の非寛容に支配された時、死を迎えます。キリスト教徒がいくら自分たちをギリシア・ローマ文明の末裔と主張しても間違いだという念が強くなります。教義の争い、異教の排斥・・・多神教ならば他の神を尊重するという形で、他者の考えを尊重するあり方もありうるのに。
 今、世界の半分以上を支配しているのはキリストでありイスラムでありユダヤである一神教です。一神教徒に他者を排斥しない寛容の精神は宿っているのでしょうか?唯一神を信仰する優越感からの友好ではなく、他者を対等の存在としてみなす心があるのでしょうか?
 まぁ、それのあるなしが世界平和につながる訳ではないのですがネ。