起きたら十一時回っていました。

 いい天気なのにダメですネ。人生無駄遣いしている感じですネ。でもたまには惰眠をむさぼるのもいいかもですよ。
 本とか割と時間が切迫している時に読むと集中しますが、余裕があると昼寝への近道に(あれ?
 今読んでいる本にサウジアラビア現代史というのがあるのですが、サウジアラビアというのはサウード家のアラビアという意味なんですネ。現在は初代王の息子たちが統治している王国で、民主主義とはほど遠いけど、欧米と協調路線をとり、七十年代にお金儲けして、ものごっつお金持ちになった国です。石油はアッラーの贈り物って奴ですネ。
 よくよく考えると冷戦時代はこの国も旧ソ連とかでのテロ活動を支援していたテロ支援国家な訳ですが、アメリカに協力的なテロはテロじゃないんですネ。解放運動って事ですか?そういえばアメリカがテロリストって呼んでいる人たちも、自分たちの名乗りは「〜解放戦線」とか言ってますね。
 やっぱり革命ってそういう血の雨を降らすろくでもない行為だと思うのですが、どうでしょう?
 先日最新刊を読んだEDENで、人を取り込み自然の光ネットワークと化している『コロイド』というものがあり、最初は人を死に至らしめる存在であったのが作中時間の経過とともに、今では望んだ人が痛みも苦しみもなく同化できるようになっています。古いSFネタで全体で個が融和したもの、という昔のユートピアな思想ですが(ありえねーって私なんざ思いますけど)、作中の地球は酷い自然災害とコロイドのもとになったウィルスによって人間社会が崩壊の危機に瀕し、人々が自暴自棄になってコロイドと同化を望む人が増えています。
 その一方で紛争地域ではコロイドに入る人が少ない、という設定。これはどういう事なのか。作者はどういう設定で書いているのか知りませんが、戦う事で生きている充足を感じる少女兵士の感想を書いています。都会では生きている実感がわかない、とか言っています。
 人の社会がもっとも強固な場所が都市という設定だからなのか?人は自然と対決する為に社会をつくったという解釈で物語を書いているせいなのか。
 しかし、都市が快適な空間になったのって、ほんの百年ぐらいなんですよねー。それまでは農村の方が絶対的に生きていくのに楽だった。都市は不衛生で、三代続けて住めば長生きな一族という認識でしたし。
 強固な社会というものは、人口密集地でのみ得られるものではなく、むしろ過酷で協力して生きていかなければならない、あるいは秩序を持たなければ生きていけないところの方が社会というものが強く形作られるような気がする・・・のですが、どうでしょう?
 アフガン戦争の経緯とか見ると、作中のテロリストたちの戦いも一方的過ぎるような気がするしネ。テクノロジーが進むほど自然と対決する時、支援を多く必要とし経費がかかるんじゃないかしらん。
 ・・・あれ?どうしてこんな話になったのかな。