ようやく読み終えました

 何をって『遊女と天皇』です。
 結構目から鱗な内容でしたよ。同時代の知識人、というか朝廷関係者から暗愚と言われている後白河法皇という人は、今様狂いと言われていまして、喉を痛めても構わず歌っていたような人なのですが・・・あっ、今様というのは平安末期に白拍子や遊女が歌っていた流行歌のようなもの、と理解すればいいのでしょうか?鼓の音だけで歌っていたそうですけど、つまり歌い手が遊女で、もともと皇位継承の本命と目されていなかった人なので、そういう女達と付き合い、自由に振る舞っていたようですが、父鳥羽法皇が溺愛した近衛天皇が子を残さず夭折したため、彼の子供にお鉢が回り、天皇の子でないと皇位を継ぐ事はできないということで、事のついでという形で天皇位についたという、成り行き即位をした人ですから、お堅い帝王学など学んでいません。
 だからなのか、血筋、家柄よりも芸能や歌の才能で人を計り、血のつながりよりも心のつながりを重視した振る舞いをしたため、その当時の常識人からすると目を覆いたくなる非常識な人だったようです。実際には源頼朝をして「日本国第一の大天狗」と言わしめるほどの政治家になるのですがね。
 今様の歌に熱中し、歌の上手い美人の遊女を愛し、女房に取り立てて宮中に部屋まで与えた人なので、実の母親よりも今様の師匠である元遊女の老女の方に親しみ、毎年命日がくると、その元遊女の女房と一緒に老女が好きだった今様を歌い、弔いをしたといいます。
 この人が書き残した口伝集という本に、当時の遊女と都の男の話が載っているのですが、当時女の盛りは十三〜二十五ぐらいというロリロリ?と言える年齢なのですが、普通美貌が衰えたら関係は薄れてしまうのですけど、某という男は、地方に住むおそらく三十代の遊女とところに行くと必ず床をともにします。しかし愛欲の対象にはならないので背を向けて寝る。女の方はそれが解っていて、咽び泣きながら、それこそ男の背に睫毛が触れるほど近付いたといいます。両者たぶん裸だろうという注釈がつきます。
 男は女が都見物すると言うと世話をしてやり面倒を見てやります。
 当時の一般常識人にとって美貌の衰えた遊女は何の魅力もなく、とっとと捨ててしまうものであったようですが、後白河法皇はこの話に感動しているんですね。ちなみに元遊女の産んだ息子は出家して天台座主になったそうです。宗教界の最高位になっています。他の天皇にも遊女に子を産ませた人はいますが、ここまで面倒をみてあげた人はいません。
 後白河法皇という人は、親しい人にはとことん愛を注ぐタイプの男だったみたいですネ。
 んで、続いて読んでいるのがデュラスの『愛人』だったりします。・・・アレ?