暖かい陽射しがうれしー!

 という感じですが、風はまだ寒いですヨ。
 まだまだ何分の一も読んでいないのですが、『遊女と天皇』という歴史と民俗学が絡まったような本を借りて読んでいます。
 明治の初めまで、つまり政府の中央集権ががっつり支配するまでは、漁村、山村には旅人を泊めた家は娘を、いなければ奥さんが旅人と同衾したそうです。んで旅人が娘や奥さんを抱くことを拒むと、「お前は客じゃない!!」と村から追い出されたとか。
 これは一夜妻の風習で、客人(マレビト)である旅人を神に見立て、歓待して宴、祭りをし、神妻と見立てる娘(妻)とまぐあわせる事で豊饒を祈る儀式になったと言います。
 女の方もこういう回数が多いほど良縁に恵まれ福がくると喜んだそうです。場数を踏めば床上手になるって事なのかしらん。良俗に反するから、という事で取り締まられて明治大正期には絶えた風習ですが。
 この場合、女は男から金をとったら売春になってしまい、神婚の儀式が成り立たず堕落してしまうと考えられていたようで、一回限りの関係だから聖なるものと捉えられたそうです。一度の関係で生まれた子は神の子という認識も古代にはあったらしい。
 お祭りやハレの日に男女が関係するのは、豊饒を願う儀式だという認識は、古くから世界各地にあるそうですネ。
 江戸時代の吉原、島原は、そういった儀式を個人的に模倣する場である。という考え方があるらしいです。だから吉原、島原の高級娼婦は尊崇の的であったそうです。まぁ形容詞とか褒め言葉ではなく、女神になぞらえているなら当然ですよネ。だから吉原の女達は軽蔑される対象ではなかったらしいです。
 時代が変わると認識も変わって面白いものです。