なんだか気持ち悪いくらい生暖かいですよ

 冬じゃないみたいです。商売柄とっとと暖かくなるのは歓迎ですが、それでも気持ち悪いなぁ・・・。
 百姓視点の戦国時代の本は、まだ途中読みですが、自力救済という中世の価値観を考えると戦国時代というのは近世、近代への入り口なのだと納得してしまいます。
 室町時代までは、村郷の支配者は複数いて、村の権利を守ってくれる人に年貢を納め、これじゃだめだという支配者は年貢をもらえないという、支配者出来高払いみたいな制度だったようです。村の境界や権益を守る為に村同志が合戦し、それぞれに村規模の同盟者が助太刀して、それでも解決できなければ上位支配者の裁決をもらうという仕組み。有名な事例らしいですが、琵琶湖畔の二つの隣接する村は、境の山の権益を巡って借金までして合戦したそうです。金の使い道は援軍の村への慰労分(兵糧とか酒代)、室町幕府の裁決を得る為の、裁判費用とかで、年貢高が四十貫文のその村は、同盟者への謝礼に二十貫文、裁判費用に百貫文を使ったそうです。当然高利貸しから借りないと用立てられませんが、年利8%とかというたわけた利子(貸す方の防衛処置という意味もある。元本を借りたまま逃げられるのは困るからなるべく早く回収しようとする為)で、完済に五・六年かかっています。
 山の境界でなんで?と思うかも知れませんが山林からは薪などの燃料、木の実、果物、芋、山菜、茸類などの資源があるのです。獣を狩る権利だってあります。全ては村が生き延びる為なんです。
 慢性的な飢饉状態であった江戸時代中期以前の日本において、村は百姓が生き延びる手段、よりどころとして存在した訳でして、合戦するのは少ない食い物を確保する為の処置という訳です。
 戦国時代は大名が一元的に領主を、そして領主が一元的に村を支配し、そこには荘園主の貴族や寺院、室町幕府も口を挟めない状態でした。つまり年貢を納めるところが一箇所に固定されたという事で、よりきめ細かい支配が貫徹するようになったのです。その代わり領国の防衛に戦国大名が責任を持つというシステム。
 現在当たり前の『国家』というものが現れた時期だという事です。・・・面白いですね。