風は冷たいけど

 陽射しは暖かな日和でした。
 今読んでいるもの。『フィガロの結婚』の脚本と百姓から見た戦国時代という本。
 『フィガロの結婚』は高校一年の夏休み半ばまで在籍していた音楽部(実際は合唱部)の先輩が「フィーガロ、フィガロフィガロフィガロフィガロ、フィーガロ♪」と歌っていた事しか知りませんでした。クラシックだと有名みたいですね。なかなか面白い脚本です。というか定番という感じですが。これ自体古典ですからね。
 百姓から見た戦国時代という本は、まだ読み始めたところですが、千葉の本土寺というお寺の過去帳(死没記録みたいです)を調べると、戦国期の一般庶民の自然死は冬の終わりから秋にかけて死亡者が多く、秋になって減り、また春に向かって増える傾向があるそうです。秋の収穫で皆一息ついていた事になりますが、これを十九世紀の回向院というお寺の記録と比べると、こちらの死亡者は夏と冬に多くなっているそうです。夏は消化器系、冬は呼吸器系の病で亡くなっているんですね。ところが天明の飢饉・・・だったかな?その時期ですと戦国時代のように冬の終わりから夏に向かって死亡者が多くなり、秋になると減る。そしてまた冬の終わりから増えるという・・・つまり戦国時代というのは慢性的な飢饉の時代だった訳で、食えないから皆、よその土地へいって奪おうとすると。だから戦争になる訳ですね。
 だいたい百年に及ぶ戦国時代で天下統一を意識した武将など数えるほどしかおらず、ほとんどが自分の領域を守り、支配域民を食わせる為の戦いだったのですから、その理由を考えればそんなところなのでしょう。下剋上と言いながら、単に野心だけで上を引きずり降ろす人間が列島各所に同時に現れる訳ではなく、飢饉という危機(駄洒落じゃないよ)を克服できなかった旧来の支配者を引きずり降ろし別の実力者、ないしは国人集団が合議で乗り切ろうとしたのが戦国時代の実態なのかも知れません。
 うう、面白いなぁ。
 そういえば叔父がお寺さんです。過去帳があるかどうか聞いてみようかしらん。尾張国に飢饉があったかどうか知りたいです。