明日は雪が降るとかなんとか

 最低気温はそんなに下がらないようなので積もる事はないでしょうけどね。
 図書館で借りた本の中から、『上杉謙信』という本を読んでいます。いや『武田信玄』を読んだからね。
 しかし書いている人の文章が読みにくくてなんともかんとも・・・。まぁ解ったのが「守護」の家柄であり父親の代に甲斐統一を果たした信玄とは違い、「守護代」の家柄で父親が「守護」を支持する国人衆との合戦に敗れてしまった謙信は、国人領主の盟主という立場以上にはなかなかなれなかったようです。越後の国全域に動員を掛けられるようになるのは、室町将軍に献金して「守護」待遇を獲得してからですし、更に関東の領主や上杉一族にも動員がかけられるようになるのは、山内上杉をつぎ関東管領になってから。しかも盟主的な立場は変わらず、ただ単に権威がついただけなので一元的に支配する事はできず、国人領主たちはたびたび反旗を翻し、関東の領主たちも謙信の軍事力だけを当てにするという・・・。まぁその当時は圧倒的に生産力の低い越後の人間を食わせる為に略奪行紛いの関東遠征を望んでいた謙信にとっては渡りに船だったようですが、とてもではないが北条、武田のような強固な支配体制は望めず、はっきりいって最も中世的な戦国大名ではないかしらん、と思ってしまいました。
 これが江戸時代に『軍神』に祭り上げられる男の正体なんだなーっと。たぶんそうなったのは「神君家康はえらいぞ。秀吉も勝てなかったぞ。その家康に三方が原で勝った信玄はすごいぞ。そしてその信玄の好敵手だった謙信もすごいぞ」という三段論法のなせる技なのではないかしらん?
 家康が秀吉より強いという話は、太平洋戦争で真珠湾攻撃で日本が勝ったから米軍より強い、とかいうのと同じではないかと最近思います。徳川勢はそれほど強くありません。というか三河武士が犬の如く家康に従ったというのは嘘ですから。