小春がひよってます

 『武田信玄』の評伝を読みました。これまでイメージ先行で敬遠していた人ですが、古文書の読み取りを入れた本だったので読んでみました。
 信玄という人は慎重な性格で、手紙の内容は何故か毛利元就を思い出させました。父親の追放劇は、国人領主である家臣たちが甲斐統一を成し遂げ権力を強化しつつある父信虎に代わり若い信玄を当主にすえていいように操ろうとした為のようです。それが念頭にあるせいか、長男の造反劇にも迅速に対応しています。若き信玄を擁してやった事をもう一度やろうとした連中をばっさり処分したという事ですが、その後の処分が謝ったかも知れません。長男を処分したなら早々に四男勝頼を後継者の地位に置けば良かったのですが、自分を追放しようとする勢力に利用されてはかわなぬと、死期を悟るまで勝頼は公式には諏訪氏の後継者という立場のままでいさせたのですな。結局自分亡き後、勝頼の家臣団は①国人領主層②信玄個人に引き立てられた家臣団③諏訪氏の家臣団、という三グループに分かれてしまい、お互い融和する事なく、長篠の合戦で勝頼の軍事的威信が失墜した後は急速に分解していく事になります。
 その意味では家督相続のツケが自分の息子にまで祟ったという、何とも皮肉な結末でした。政治手腕は優れていたし、軍事的にも小技を効かす事のできる、戦上手な人ですが武田家の勢力拡大を目指し天下を望むのが晩年であったというのが、この人の限界であったかも知れません。
 ちなみに勝頼も平凡な武将とはいえません。が、上杉と北条、どちらを同盟相手にするかという時点で相手を間違えたかも知れません。それでも結果論ですけどね。