今日も寒かった・・・

 『戦国時代の終焉』を読み終えました。
 北条家の滅亡は、直接中央とのパイプを持っていなかった事に原因があるのかも知れません。読んでいてそう思いました。北条氏政は歴代北条当主の中で愚かとか平凡とか言われていますが、事跡を確認すると関東の諸大名を手玉にとって、関東の主となる北条家の野望に向かって邁進しているんですねぇ。その手腕は父親氏康に比べても遜色ないように思えます。
 ただ秀吉に対する認識が甘いところがあったかも知れません。
 徳川が秀吉に屈服した後も、北条家は臨戦態勢を取り続け、秀吉方も『富士山一見』と称し関東征伐を考えていたようですが、その前に九州征伐が起こり全てが変わったようです。九州全島を制圧しつつあった島津家のあっけない敗北で北条家も方針を変更。徳川家康の必死の工作もあり、ついに一族北条氏規が上洛し秀吉に挨拶した事で、豊臣政権に下りました。徳川というか真田との領土調停も北条有利の決定であり問題はなかったはずだったのですが、名胡桃城攻撃の事件で一変。その前に隠居北条氏政の上洛が決定事項としてあったのですが、事件を知ると一日も早く上洛するよう秀吉方は迫ります。家康は和議(秀吉側からすると赦免)が成立すると、ほとんど間をおかずに上洛しています。ところが北条は十二月小田原発の予定を変えず、弁明の使者を送りました。これで北条滅亡の運命が決したといいます。
 確かに関東から上洛する費用は、前当主の上洛ですから莫大なものになり、また問題を起こした弁明ですから進物もそれなりに用意しなければならなかったかもしれません。加えて秀吉の近辺には反北条の大名出身者もいましたし、反北条の大名の方が秀吉との付き合いは長いのです。
 おそらく、あまりにも優遇された事で判断を誤った、と考えるべきなんでしょうね。家康なら秀吉の疑いを解くために、一にも二にも上洛していたかも知れません。
 なかなか面白い本でした。