寒い。

 冬ですから!
 それはいいとして。今日読んだもの。『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』のシナリオ。「へ〜」以上!
 いや、他に感想とか思いつかなかったので。TVの延長上にあるだけです。というか、このシリーズでそれ以外の事をやってはいけないと思いますけどネ。
 まだ続きを読んでいるのですが『戦国時代の終焉』という中公新書の本で新しく知ったこと。
 徳川家康が秀吉に屈服したプロセスなんですが、秀吉は最初に妹、次に実母を人質に差し出しながら徳川・北条攻めを計画していたようです。徳川からは次男(後の結城秀康)が人質に出されていますが、その間双方とも和睦したとは考えていないようでして、徳川・北条は盛大な宴席を設けて同盟の結束を誓い、秀吉方は三河に秀吉本人が、北国衆を取りまとめて北から弟秀長が侵攻する計画を立てていたようです。北陸は佐々成政以外は上杉景勝にいたるまで秀吉与党であり、後年の北条攻めでも搦め手として活躍しました。
 つまり家康は大規模な包囲網の中に北条と共に押さえ込まれていた訳でして、しかも信濃の真田、小笠原、木曾の各氏は帰属が定まっておらず防衛線で手薄になっている。戦いになった場合、家康は三河と北信濃二方向から攻められる訳でして、しかも北条氏は北関東の反北条に手を取られて(おそらく)十分な援軍を送ってこれないだろう、という認識があったようです。小牧・長久手の戦いもそうでしたから。
 もっとも、関東での北条氏の軍事力は小牧・長久手の時とは比べ物にならないくらい優位を確保しているので援軍はやってくるでしょう。ただし秀吉側も紀州雑賀衆と四国長宗我部を制圧しており、後方撹乱を仕掛けてくる敵が現時点でいないという事は、小牧・長久手の時の様な腰砕けの動員ではなく、本格的な遠征ができるという事になります。
 家康は、それを秤にかけて秀吉に屈服したんでしょうね。秀吉が家康を恐れたというよりも、選択権は秀吉にあったと見るべきです。
 って、人質として送った妹と母親が殺されたら、弔い合戦の大義名分が立つと秀吉が考えているかもしれない、なんて怖い事を考えてしまった。いや、たぶん考えていたと思います。秀吉という男は通説以上に恐ろしい男だと思いマス・・・