この週末はダメ人間でいきたいと思います。

 ROのキャラがちょいと追い込みです。追い込み終わるとちょっとだけ強くなります。本当にちょっとだけです。だから追い込みしたいと思います。月曜からPunks!書きます。大丈夫です。やります。だから・・・今週末は見逃してください!(って誰も注目していないぞ、とかいう突っ込みはなしで)
 あ、さて、三国志の本と平行して、でもちっとも進んでいませんが『戦国の終末』とかなんとかいう新書を読んでいます。本能寺前後の北条家の織田家への対応から小田原合戦による滅亡までの、信長、秀吉、家康との交渉を軸に書かれており、重点を置いているのが秀吉対家康&織田信雄の小牧長久手の合戦と同時進行で関東で戦われた沼尻・・・だったかな、手元にないのでうろおぼえですが、の合戦についてという事です。聞いた事ない合戦です。まだそこまで読んでいませんけど。
 初めて知ったのは、北条氏が織田家と縁戚になり、その支配権を認めて関東の主になる事を目論んでいたこと。武田家滅亡時に信長はその動きを否定したこと。本能寺の変後の旧武田領侵略は北条家が先手を取り、戦場でも徳川に対して優位に立ったのですが、徳川側の調略により真田を始めとする中小領主が寝返ったこと、徳川の動きに連動して攻勢を開始した北関東の大名達の動きが気になること、そして相模方面から侵攻した軍勢が一敗地塗れたこと、などが原因となり甲斐で展開していた軍勢が孤立、劣勢に立ったため甲斐、信濃は徳川に譲らねばならなかった、とのこと。
 『たぬき』徳川家康の面目躍如といったところですが、この男、後始末を誤ったようで、上方の秀吉の動きに対応する為、北条氏と和睦したのはいいのですが、上野は北条の切り取り放題という事にしてしまったため、信濃と上野に領土のある真田はまた裂き状態に、そして長年北条と抗争していた佐竹、結城、宇都宮の諸氏を見捨てる結果になりました。この後、真田は自分の利益を守る為に、更に上杉を頼り、北関東の大名は徳川とは一線を画す動きを取ります。関が原で真田や佐竹が西軍についた遠因かも、とか思ってしまう。徳川は信用ならねーって。
 その後の展開は、また読んでから〜。