寒いのぉ・・・

 三国志曹操メイン)の読み物を読み終えて。
 曹操が魏公→魏王へと爵位を上げていったのは朝廷と臣下の圧力に屈したという解釈。そして荀いく(この字はワープロにない)の死は周囲の圧力に神経をすり減らした過労?あるいは神経衰弱ではないか?その後に、曹丕禅譲を受ける前の詔と臣下の上奏文、帝位を拒否する応答文が載っていまして、確かにその文章の余りの煩雑さから思うに、四回目の詔で禅譲を受けるというジェスチャーだけならば、こんなに多くの臣下が上奏したりしない訳で、曹一族が漢の帝位を渋々受け継いだ、という主張は一理あるように思えます。
 ただ、書いた人の主張は、正史のみ取り上げている訳でなく、曹操擁護を前提に資料を選んでいる気もしないではないのですが、しかし説明できない荀いくの死を一番合理的に説明しているようでもあります。もちろん残された文章では彼と曹操との間にどんな問題が起こったのか解りません。正史の文章だけを追っていくと、曹操とともに、自己の利益拡大を目指し漢王朝から新しい王朝へ移行しようと目論む他の人々からの圧力を受け、そのプレッシャーの中で病死したという説は、なんとなく納得できたりします。
 曹操について繰り返し説明されているのは、曹氏、夏侯氏(父親の出身一族)ともに前漢成立期以来の名族であり、祖父曹騰は宦官で漢朝に寄生・・・といって悪いなら漢朝あっての勢力家であったという事です。幼い頃から彼が漢朝に対する忠誠を叩き込まれていたとしても不思議ではないし、残された詩文にはそういう主張が多く、天下を取らんという気概が見えないというのも面白いです。
 曹操という男は、煮え切らない部分が返って『悪党』視されているのかもしれません。劉備なんか献帝に任じられなくても勝手に『漢中王』になっていますもんね。孫権ですら魏の文帝から王位をもらっているのに・・・一番厚顔な男ですヨ。