今夜こそ・・・

 寒いです。冬がきます。土曜日雨の予報とか言われちゃって、町内の祭りはどーなるのかと心配になっています。はぁ。
 今夜こそ『天使の家 交渉』アップしたいと思います。やりまする。
 全然関係ないけど、今の岡山県を中心に栄えていた古代の『吉備王国』周辺の事を書いた本を読みました。十年以上前の研究結果のまとめ・・・なのかなぁ。意外に古代史研究家の方は理性的で、古事記日本書紀の内容を参考程度に止めて、考古学の成果とかを交えて考えてみえるので、宮内庁が管理している古墳を考古学者に開放したら、古代の大和王権の事がもっと詳しく解るのではないかと残念に思えました。
 とはいえ、『吉備王国』は文献にも少なく解った事といえば、どうも大和王権と婚姻関係を結んでいた。出雲王国にも文化的影響があった。当時の朝鮮半島情勢に深く関与していた。一つの王家が支配していたのではなく、現在の岡山あたりの上臣王家と現在の小島辺りの下臣王家が中心的役割を果たしていた。
 そして大和王権内の紛争に巻き込まれる形で徐々に勢力を失っていった。というところでしょうか。それでも平安中期以降の天皇家身内政治にいたるまで、地方でも中央でも主流派ではないながら『吉備王国』の豪族は力を持っていたようです。吉備真備とか和気清麻呂とかはその代表格らしいです。
 同時期に北九州の筑紫、出雲、そして福井から富山を支配していたと思われる古志(越)の王国がほぼ独立し互いに影響しあって存在し、結局大和王権に収束していたようですね。
 尾張とか伊勢は神宮では大規模なものがあり古墳とかの分布とか発掘がすすめば、もしかしたら伊勢湾岸を包括する文化圏が存在し大和王権と対立したり協力していたかも知れません。古代東国とは伊勢湾岸地域を差していたようですから。
 うーむ・・・断夫山古墳とか色々調査しているのかなぁ・・・。