完璧な空です・・・

 梅雨は明けたも同然ですな。マジで完璧な空ですよ、ほんと。
 借りていた本の中で『刀狩り』の話を読み終えました。
 江戸時代の百姓一揆が描かれる時、あるいは黒澤明七人の侍』のように、百姓は武器を持たず虐げられた存在として描かれるのですが、実際は違うようです。
 秀吉の刀狩りは、帯刀禁止であり、武士身分以外の大小二本ざしの禁止でありますが、脇差を持つ事は認めていますし、鉄砲も害獣駆除の名目で免許制にせよ農民が持つ事が認められていました。
 徳川時代でも、島原の乱で鎮圧に苦労したから農民から武器を取り上げたいと九州の大名が幕府に申請しても、そこまでやる必要はないと幕閣は思っていたようです。しかも反乱の本拠島原でさえ、国替えで新しく配置された大名は、没収された一揆側の武器を返却し、信頼されるよう務めています。
 江戸時代の百姓一揆に関しても、鎌や鍬、棒で武装しても、刀や鉄砲を持ち出さなかったのは、一揆側が自分たちの公明正大を世に示し、正当な自分たちの要求を通そうとしていた結果であり、鎮圧する大名側も、幕府に発砲しても良いかと確認し、幕府側は相手が飛び道具を使わないなら発砲してはならぬ、としていたようです。
 その後江戸後期から飢饉にともなう世情の悪化により農村は再武装します。(近藤勇新撰組の出身は天領豪農)しかし明治維新後の廃刀令で再び『刀狩り』が行われますが、その時も帯刀は警官、軍人、官僚以外は禁止であるが、脇差は持っていても良い。日本刀も表に出さなければ所持して良いとあり、武装解除ではなく、これまた身分制の設定に使われているんですな。
 戦後のアメリカ占領軍の強硬な姿勢と、それに便乗した形の内務省が民間の武器を回収して、初めて武装解除されたようなのですが、それでも美術品の名目で数万点の日本刀は日本人の手元に残っているようです。・・・余談ですが亡くなった父方の祖父も何やらなまくら刀を持っていましたよ。しまってあるだけでしたが。
 アメリカの現状を見れば解るのですが、武装する事は地域防衛を担う『社会人』の証であり、それを持つ事が一つの身分を現していました。日本人は秀吉の刀狩りを契機に、どうも自らその権利を封印してきたようで、自力救済よりも話談によって事を決する方法を志向しているようでもあります。
 不思議に思うのは到底中央集権が完成されたとは思えない鎌倉時代の、それも鎌倉幕府には承久の乱以後従った若狭の国の土地争いが、六波羅探題に持ち込まれて裁判で処理されている事実です。
 室町後期、すなわち戦国時代に至って、もはや公権力は当てにならぬと腕力に物を言わせての解決が横行しますが、それとても秀吉の天下統一によって放棄するようになります。
 日本人と言うのは、勇敢な側面もありますが、実は話し合いとかで物事を決すること、事を荒立てない事を模索する人種であるのだろうと、そんな事を思いました。
 ・・・話題が硬いですか?