雨も雨、雨。大雨じゃぁ・・・

 さて、古代中国の都市を中心とした社会情勢の話ですが、誰も望んでいないだろうが、私は大変面白かったので書きます。にやり。
 古代中国、東周時代は黄河中流域とその周辺部でだいたい色分けできるようです。交通の要衝であり中原と賞される黄河中流域は都市が発達し、地方分権的な体制であったようです。戦国七雄でいうと、三晋と言われる、韓、魏、趙の三国ですが、王都は政治的理由で一際大きくとも、他にも多くの都市が存在していました。
 対してその周辺部、西の秦、南の楚、東の斉、北の燕は王都以外に目ぼしい都市がなく、相対的に中央集権が進んでいたと。その中でも徹底した軍事国家になっていた秦がより強力だったわけですが、それでも天下統一に四世代ほどの時間がかかっています。今まで私は安能務氏の物語で、秦は権力を弄んでいて、本気で天下統一をしようとしなかったと理解していたのですが、国の構造そのものが異なっていたからなんです。
 当時は大規模な都市攻略には大変時間がかかり、大軍をもって包囲し、一年二年かかる事もざらであった事。また、軍功によってのみ社会的地位が得られ、がんじがらめの中央集権が自治的な都市が多く存在する黄河中流域住民に拒否され、秦は極めてゆっくりとしか征服事業ができなかったらしいです。三晋を征服するのに秦は二十年もの歳月を費やしますが、楚、斉、燕は五年ほどで征服を完了します。王都以外に目ぼしい抵抗する拠点が少なかったかららしいです。
 ただ、秦の軍事国家的側面は、一度崩壊すると誰も助けてくれなくなる。地方を支配した長官達は皆都市部の『少年』・・・侠と言われる急進的な人々に殺され、何の抵抗もなく秦の地方支配は瓦解します。権力闘争で中央が腐敗したという面もあるでしょうが、皆秦の支配にうんざりしていたというのが本当のようです。秦の本拠ですら、漢の高祖劉邦が占領したとき「今後法律は三章のみにする」と宣言したら手放しに喜んだんですからねぇ。
 ここに書いた事だけじゃなくて、秦以外の国は割りと商業を盛んにしていたけど、秦は商業を抑圧したとか、色々都市文化と相容れない存在だったよーですね、秦は。
 本日買ったもの。
 御伽草子之弐 士郎正宗 エッチくさいイラスト集です。大変凝ってます。それはいいけど士郎さん、マンガは描かないのでしょうか。描いて欲しいなぁ。