昨日より湿ってます

 つまり蒸し暑いって事ですね。
 うちのワタクシよりも年上の建物の水周り修理の為、工事屋さんのトラックがうちの駐車場に入っていたため、配達にいけませんでした。頭を押さえられた感じ。んで、久し振りに『大誘拐』を読み終えました。
 面白かったなぁ。DVDを最近見たので映画の脚本と小説の台詞回しの違いがなかなか興味深く感じられました。故岡本喜八監督は、七・八回ほど脚本の練り直しを迫られたようで、その分いろいろなエピソードが殺ぎ落とされ、物語の核になっている部分だけが、結果的に抽出されたような形です。
 原作では柳川トシ子おばあさんが冒頭で、戦時中に亡くなった息子や娘の話を行儀見習できているメイドの女の子に話すのですが、映画では冒頭にお盆の風景を入れ(原作にはない)、トシ子おばあさんが一人一人の遺影に呼びかけて、彼女が三人の子供達を亡くした事を明らかにしています。こういう演出は映像作品ならではで、文章ではできませんし、やったら余り感じが出ませんね。
 小説の節々には柳川家の資産に群がる悪党の存在を仄めかし、犯罪者に百億円の身代金を渡すのはいかがなものか、などと政治家に喋らせ、様々な社会的な『嫌な』連中の事を書いていますけど、映画では小説でも肝の言葉、「お国っていうたかて、私には一体なんだったんだろ」に集約されている、ような気がします。
 この言葉は恐らく、永遠に生き続ける言葉ではないかしらん、とも思えます。イラク戦争の折にイラク国内に入国した人々を政府、役人が批難する・・・その状況を目の当たりにした時、私には、この人たちは言ったらおしまいの事を口にしてしまったのだ、と思いました。
 確かに国の勧告を無視して危険な地域に出向くというのは、死んでも仕方ない事かもしれませんが、しかし自国民の安全を図るのが国というものの存在意義ですから、内心『バカ野郎!!』と叫んでも助ける為に全力を尽くさなければならない。それを怠れば、『国なんて、いざとなったら何にもしてくれない』と国民に見透かされ(いや、本当にしてくれないんだってば。そんな力も余裕もない)、税金なんて払ったって無駄と思われれば、恐ろしい事ですから。
 日頃何に使ったというよりも、どのように使ったのか、という事を全て公表するというのが一番だと思いますけどね。
 「お国って一体なんだったんだろう・・・」
 重くて考えさせられる言葉です。