今日も晴れた!でも明日は・・・

 暑いっすね。厚いといえば(強引過ぎる)『オーストリアハンガリーとバルカン戦争』という本を読み終えました。第一次大戦前夜という奴です。感想は「外交官はつらいよ・・・」ですね。話の軸が当時のオーストリアハンガリー共通外務大臣のベルヒトルトという人だから、なのかも知れません。当時も今も、多民族がモザイク状に入り乱れ民族自立、経済的な自立を訴えて、喧喧諤諤、時には血みどろに殺しあう地域であります。
 そんな不安定なところに隣接し、かつ多民族を支配しているハプスブルグ家の領地集合体。それがオーストリアハンガリーですね。六百年あまりの歴史と『大国』としてのメンツに捕らわれて、それでいながら国力が劣る(ようにみえる)オーストリアハンガリーは強大化するセルビアを座視する事ができず、皇太子殺害事件を大義名分としてセルビアに宣戦布告。セルビアの後ろ盾であったロシアがそれを受けてオーストリアに宣戦布告。それを受けてオーストリアと同盟関係にあったドイツがロシアに宣戦布告。それを知ってロシアと同盟関係にあったフランス、ついでイギリスがドイツに宣戦を布告するという、まさに芋づる式戦争拡大ですね。
 ちなみにそれに便乗してアジアで火事場泥棒をしたのが日本でした。これはどう見ても、そういう見方しかできない・・・。
 当時の常識というのか、とにかく領地を増やす事が国家威信につながり、経済的な損得というのはなおざりになっている部分があります。もちろん『大国』といいながら国家の体をほとんどなしていない(ように感じられる)ハプスブルグ家が、国民国家としてのまとまりを、彼らよりも持っているロシア、ドイツ、フランスに比べると力負けするのは仕方ない事で、新興国であるセルビア人の国民国家であるセルビアにも危機感を持ったのも、常に空中分解の危険に晒されていたからなのでしょう。
 その危機感を他の国が理解せず、バルカン半島の現状維持を平和の為に認めつつも、やっぱり自国の利益優先と、「遠すぎるから関係ないや」という『大国』の無関心によってオーストリアハンガリーは協力者を得る事ができず、セルビアに対して危機感が暴発したのが第一次大戦の発端のようです。
 まぁ、オスマン帝国が崩壊していく状況で、その変化に対応できなかった老国の悲哀と、現状認識の甘さが大戦の原因なのかも知れません。・・・だいたいの戦争の発端ってのは、そんな感じなんですけどね。
 第一次大戦を始めながら、まるで問題にされないオーストリアハンガリー。それが国家としての寿命だったかのように、大戦終結と同時にハプスブルグ家はオーストリアから追放。現在にいたるも帰国できないそうです。彼らに全ての責任があるわけではないけれど、専制国家、ドイツ人優先国家、そして国を破滅させた支配者というレッテル、『象徴』として裁かれてしまうのでしょうね・・・