暖かい・・・

 とか書きながら、自殺について書いてみたりする。全然、なごむ話題じゃないですネ。
 自殺したくなる時ってどんな気持ちですかね。私は『死んだらさっぱりするなー』と感じた時です。こんなに不愉快なら死んでスッキリしたいわい、とか乱暴な事を考えます。これだといつ死んでも不思議はないのですが、今まで生きています。たぶん、これからも自殺では死なないかも知れません。
 死んだらすっきりする!!と思い定めた時にですね、じゃあ、自分が死んで発生する死体というものは、一体誰が処理するのだろう、と考え始めると躊躇が入ります。
 身投げすると飛び散りますね。(何がとか聞かないで)それを掃除する人の苦労を考え、現場検証する警察官の手間を考え、死亡証書(だっけ?)を書く羽目になる近所の医者の煩雑さを思い、息子の葬式をしなければならない両親の情けなさを想像し、さらに情けない自分の遺品を遺族である両親と妹が『しょーもな』とか言いながら処分している姿を想像すると、何だか自殺するのがバカくさく感じられてきます。というか、まず情けない遺品を生前に整理しないと死ぬに死ねない事に気づく。

 三年前に亡くなった祖父母の遺品、遺産の処分は、まだ決定されていません。生前の祖母は認知症で、そんな判断はできなかったし、同じく認知症でも祖父はしっちゃかめっちゃかにしていったので、遺言執行者に指定された叔父は四苦八苦しています。それを見ていると、何とか人様の手をあんまり煩わせずに死にたいもんだと思い、衝動的な自殺を思いとどまる訳です。そして、根が鶏頭だから直ぐに不愉快だった事も忘れる・・・大変幸せな人間ですな!!

 とはいえ、何とか認知症になる前に、自らの人生を見極めて死を迎えたいとも思います。アガサ・クリスティとかは睡眠薬を溜め込んで自殺するという方法を良く小説に取り込みますが、これは死ににくく、胃洗浄とかされて辛いそうです。投身とか首吊りは後始末が大変そう。雪山遭難は捜索に金がかかるし、溺死は苦しそう。ガス中毒も匂いが嫌いだ。んで、ローマ人が絶食して死んだとか見ると、ほほー、これが良さそうかな?とも思う。あんまりお腹がすいて苦しい、って思わない人間なので。
 しかし、この絶食も大変精神力が必要な死に方らしく、水を取る事もやめたあたりから物凄く苦しくなるらしい・・・やはり彼岸を渡るにゃ苦しみが必要なようです。となると、脳溢血であっという間に亡くなった(らしい)祖父母の死に方は誠に楽な事で、そういうところは見習わなければと思います・・・いや、狙ってできる物でもないけれどさー。

 HPの方はちょろちょろやってます。しばらくお待ちください・・・