鼻水は、まだまだ出てマス

 いいお天気ですが、風が冷たいので暖かいとはいまいち思えない一日でした。
 自分、高島俊男というおっさんの影響か、何でもかんでも、眉唾だとか思いながら読んだり聞いたりしています。いや、高島さんがそんな事を言っている訳ではない。この人は偏屈なのに素直なお人で、後で『学者』さんやらトンデモ本の著作者の間違いに気づいて怒る、というパターンらしいのですが、あんまりそういう例が多いので、私個人が眉唾だと感じているだけです。
 それはさておき、今日のT新聞に『ナゴヤを舞台にした物語や唄がない!』とかという記事があって、それがそんなに残念な事なのだろうか、と思ってしまった事。つきつめていえば、ナゴヤというもののイメージが曖昧模糊としていて固まっていないという事なのだろうと私は解釈しましたがね。
 自分は名古屋の都心で生まれ育ちました。守山区民になりましたが、感覚としては中区が自分のいるところ、というものが抜けない。そしてその辺りは、まぁ名古屋の真ん中ではありますが、名古屋らしいという事は感じられません。自分にしても、妹の嫁ぎ先のご両親(敦賀の方である)に「お兄ちゃんは名古屋弁だね」と言われるまでは大して気にしていませんでしたからね。広島の方に(広島市ではない。岡山よりの福山市周辺。いや合併したから福山か)にいた時も、そんなに違和感を感じられませんでしたしね。
 名古屋以外の出身者の芸能人ほど、イントネーションを強調した聞こえの悪い名古屋弁を使うようですし、最近の名古屋出身の芸能人は名古屋弁なんて、ほとんど使いません。
 現実として名古屋の名古屋たるものなんて、そんなに多くないのかも知れませんね。
 さて、最近『名古屋が元気』とかマスコミがうるさいですけど、アレは眉唾の最たるものでして、元気なのはトヨタや大企業ばかりで、底辺はひーひー言ってます。私もその一人。
 まー、元気がありませんでは、なんだそうかよ、で終わってしまうからかもね。開発が進んでいるとはいえ、資金は東京方面だろうし、建設業者も東京もんだ。結局日本という国は、東京とそれ以外で構成されていて、利益は皆そこに吸い込まれているのではないだろうか、とか思ってしまう。税金もそうだしな。だから東京都が首都機能移転反対と叫んでいる。大きな資金源が逃げて仕舞うもの。
 で、何が言いたかったのかというと・・・はて、何だったのか知らん?
 まぁ、私が書くことも眉唾ですよ。・・・というオチはあかんか・・・