休日は断線の恐れあり・・・

 昨夜もラグナロク・オンラインに入ろうとして数回サバキャンくらいました。今朝も赤いランプが良く点滅しています。こう言う状況はどうしたら改善されるんでしょうね?ユーザーではなくハード・・・公共事業の分野なのかしら?

 誰も期待していない昨日続き・・・
 織田信長の石山戦争は宗教戦争ではなかった、ということ。
 厳密に言えば違うのかも知れませんが、発端は経済的な理由だと思います。
 一揆というと皆さん時代劇とかの虐げられた農民の儚き反乱というイメージがあると思いますが、一揆という言葉そのものには同盟とか連盟とか連体とか、そういう個人の結合体という意味しかなく、今の感覚でいうと商工会議所とか町内会みたいなもんです。一向一揆というのは、一向宗門徒が自分が檀家になっているお寺を中心に寄り合っている集会・・・みたいなものです。
 相互互助会という方が近いのかな?
 それが何故織田信長の十年もの長き間、休んだり戦ったりをしていたか、というと、結局今の感覚からすると『税金を払うのがイヤ』ですね。
 戦国時代以前の中世は複合支配の時代で、しかもユルユルでした。荘園支配者の貴族たちの元には年貢が集まらず、実際に郷村を支配している国人たちが我が物にしていました。これらが大きくなって戦国大名にもなったりします。しかしその国人たちとて農民から強圧的に年貢は取れず、一致団結している郷村の顔役とか、それこそ一揆連中とかと交渉して妥結した年貢率で徴収していたのです。もちろん地域格差はあるけど。
 ところが織田信長という人は、足利義昭を奉じて上洛戦を完了した頃には、他を圧する兵力動員能力を持っていました。それを足がかりに寺院とか金を持っている人々にも献上金を寄越せと命じたんですな。京周辺の商人達の営業権は延暦寺が握っており、他にも大寺院の門前町の商人達は寺院に営業料を支払っていましたから、莫大な金を寺院は持っていた事になります。
 織田信長以前にも金を払えてという大名はいましたが、彼ほど強大な軍事力を持っていたものはいませんでした。このままでは完全にがんじがられにされてしまう!
 その危機感の一致が延暦寺が浅井朝倉に肩入れした理由であり、本願寺が十年も抗争した結果でした。・・・別に信長が特定教団を抑圧したわけでなく、治安を維持してやるから金寄越せと言い出した事が始まりなのでした。
 そう考えると、結構納得できるんですけど、どう?多神教の日本人と宗教的熱情って、大多数的には無縁に思うんだけど・・・