寒い晴れの日でしたね。

 店の暖房を入れるまで、鼻水ズールズルでしたわい。
 三月に入って本業もバタバタし始めました。ふいー、仕事は楽しいのぉ(切実)
 さて、掲示板で小瀧さんから『乃木愚将説』を言われまして、一応、その反証というものを捜してみましたら、昔買ったウォーゲーム雑誌に載っていました。ゲームといってもバカにしてはいけません。史実にあった状況を作り出し、尚且つそれを単純化しなければならないので、下手な学生、学者よりも資料を読んでいるし、最新の学説にも敏感ですが、それはさておき、乃木さん擁護の骨子ですが、
 ①児玉さんがあたかも決断したと思われる二百三高地への攻撃は、既に指令部の会議にて決定済みということ。
 ②ガチガチコンクリートの要塞を陥落させる事は、技術的に進歩していた第一次大戦でも不可能であり、『強襲』→『正攻法』と戦法を転換しても多大な犠牲を払った事は不思議ではなく、むしろプレ第一次大戦の意味合いが強い日露戦争の戦訓を学ばなかった第一次大戦時の将軍たちが勉強不足らしいっす。
 乃木希典という将軍は、特にすぐれた戦術家であるとは思えないのですが、だからといって児玉源太郎の方が優れているかというと、そうでもなさそうです。彼は二百三高地攻撃を最初から主張していた訳ではなく、強硬な正面攻撃論者だったようです。迂回して二百三高地を占領しても、旅順港の艦隊を攻撃する事はできないと主張していたようですね。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』においては、児玉さんは二百三高地攻撃を主張したとは一言も書いていないそうですが、正面攻撃を主張した事は伏せられているそうで、最後の最後の段階で児玉さんが二百三高地攻略を指揮する事を強調して、彼が最初からいれば簡単に攻略できたと錯覚させているらしいです。
 また、児玉さんの重砲陣地転換命令も誇張だそうで、彼が来る四日前に、乃木さんの意思で移動されていたそうです。
 児玉さんが決断を促した事は事実だが、はっきりいえば、彼は陥落直前に運良く訪問したから、それに関われただけ。というのが、論者の主張です。
 まぁ、これだけだと何の事やらさっぱりなので、ヨ志ノリさんにこの記事を言付けてお見せした方がいいですかね、小瀧さん。
 と、まぁ、他の人が置いてけぼりな日記になりましたな。
 いいか。いつもはワシ以外はおいてけぼりな内容だし。