記録的な大雪らしいっすよ?

 名古屋で二十三センチの積雪だそうです。でもだら雪で直ぐ溶けたので、どうってことはないですよ?むしろ明日の朝が心配。最低気温が夕刊の天気予報だと−5℃とかなんとか。溶けきらなかった雪で路面が凍結するかも知れません。今朝よりもやばいかもしれませんの?
 雪かきして体を動かすと暖かくなるものですから、あんまり暖房が欲しいとは思いませんでした。で、動かなくなり、じっとしていると寒くなって暖房をつけたがる、と。やっぱり、人間は動かないとダメなようです。
 今日、先日買った『神聖ローマ帝国』という本、簡単な概略史なんですが読み終えました。
 普通名前がつくと、一時期は体が名を顕す事があるのですが、この『神聖ローマ帝国』というものほど、一度足りとてその名前に相応しい国家であった事のない国も珍しいのではないかな?
 「神聖でなく、ローマ的でもなく、帝国ですらない」と看破されてしまうような存在が、千年近く永らえたというのは、何とも人間心理の綾というのか、なんと言うのか。
 そもそもの成立はカール大帝フランク王国に『西ローマ帝国』の看板をかけた時点から始まり、フランク王族の男子均等相続で、今のドイツ部分が『東フランク王国』として分割され、ノルマン人やスラブ人、マジャール人などの侵入で王権が弱体、なおかつカール大帝の血筋、カロリング家の血統が絶えたところから始まるようで、王に推戴されたザクセン家のオットーⅠ世が教会組織を利用して王国、いや帝国を維持しようとしたところから始まるらしいです。
 カール大帝は帝国の地方官の世襲を許さなかったのですが、教育制度があるわけでなし、一番確実なのは親から子に家業を伝えるというやり方での継承しかなかった中世初期、ある程度仕事のできる地方官は世襲からしか得られず、簡単に貴族化してしまいました。公爵とか伯爵という称号はその時に生まれたそうな。
 貴族化は即ち地方割拠という事で、王の命令を効かなくなる。それを防ぐために妻帯が禁じられているカトリックの司教たちに地方支配を任せた、という訳ですな。まがりなりにも初期の高位聖職者は聖書を読むためにラテン語が読めましたから、とりあえず行政事務はできると。
 これも問題がある訳でなく、司教はローマ・カトリック教会に属している訳ですから、それを盾に都合の悪い王の命令は無視してしまえるわけで、以後『神聖ローマ皇帝』は世俗諸侯と同じく割拠する聖職諸侯とも格闘しなければならなくなったという・・・ほんと、小手先の何かで誤魔化そうとすると泥沼にはまっていくという見本みたいなもんですな。
 どんなものであれ、支配者は力が必要である。支配する力とは、強力な権力そのものである。強力な権力とは即ち他者を圧する武力である。
 それを確保できないものは支配者にはなれない。・・・そういう事ですねぇ。
 うむむむ、『韓非子』を思い出してしまったなー。