昨日の日記・・・

 すみません。三島に付き合うのは当分ストップ。ちょいと仕事の合間に図書館へ本を返しに行ったけど、三島由紀夫全集は一冊一冊が人を撲殺できる太さで、しかも三十うん冊もあります。当分諦めました・・・読むのが疲れる文章って、楽しくないからなぁ。
 私が楽しい文章は、最近歴史研究者のものが多いです。結構文献研究が進んで、日本古代史とか中世史は通説に変化が起きそうな予感ですよ。
 天皇家の確実に確認できる系図継体天皇までで、しかも王位継承の方法は奈良時代まで確定していなかった様子です。はっきり言えば光仁天皇の血筋から一本化したようですし、それまでは大変不安定で、親から子への王位継承が確立していなかったようです。
 『聖徳太子』も厩戸皇子という人はいたけど、摂政でも皇太子でもなく、王位に一番近い有力王族だったらしいし、なかなか、このあたりの説は読んでいると面白いです。
 下って武士の起源とかも違うようですね。平将門ぐらいの時代は中央に官位を持つ軍事貴族が活躍しているようですし、源義家の時代もそのようです。保元・平治の乱あたりから、軍事貴族と武士との差別化が顕著になったようで、平氏は『奢ったから』滅びたというよりも、中央では天皇家の『ミウチ』と化して急速に藤原氏にとって代わろうとし、地方では既得権益を持つ各地の武士団の利益を侵害して、自分たちの利益を拡張した為に、反乱を起こされたようです。
 源平の対立論よりもおもしろいですなぁ。まぁ、考えてみれば平氏だろうと源氏だろうと対して違いはないし、権益を巡る争いがなければ戦う事もないのですから。
 日本人は、昔に遡るほどプラグマティクなのではないかしらんと思います。
 明治以降じゃないかしらん。伝統とか口やかましくなったのは。