ヒトラーは今夜見ます

 なんかね、観る気分ぢゃなかったんですよ。はい。今夜は父親が飲みに行くので自分が夕飯の準備をするから飲んだくれるつもり。なので葡萄酒飲みながら映画を見るというパティーン。
 んでね、昨日は読んだものか多かったので、あ、ちょうど良かったぢゃーん、と。

信長軍の合戦史

信長軍の合戦史

 ここで書くなよと自分でも思うけど、織田弾正忠家の飛躍のもとは尾張津島の領有であり信長初期の家臣団の中核は津島衆が担っていました。その中心が大橋家でしてね・・・うちの父方の在所は岐阜羽島なんですが、二十年ぐらい前に爺さんに付き合わされて墓参りにいった時、ほぼ全部大橋さんちの墓なんですよ。これって、昔から大橋さんが住んでいて、元々は長良川を遡ってここに分家だか、のれん分けだかした津島の大橋さんなのでは??とか妄想を膨らませました。
 まぁいいや。
 さて本の事ですが、だいたい色んな説があるよ、とぷっこんであるので前半、東国関係は目新しいものがありませんでしたが、西国、特に有岡城の戦い以降の記事はなかなか興味深いです。
 東の武田家と並んで西の、織田家にとって最大敵対勢力は毛利家であり、その調略能力は本願寺のそれと相まって、なかなか凄いものがありました。特に一旦配下になった播磨の別所氏と摂津の荒木村重の造反は、効果的なものでした。
 しかし結局両者ともに二年余りの長期戦になりましたが撃破されてしまいます。その原因は宇喜多氏を織田方にしたというのが理由なのですが、その宇喜多氏が織田方になったのは毛利家の消極性でした。毛利の先兵として自己の勢力拡大を狙っていた宇喜多氏としては、別所と荒木が元気なうちに播磨を少しでも侵略したい。ところが毛利家は国人領主連合体の色が強く、しかも当主輝元は勢力拡大をなした元就の孫でしかなくカリスマ性で劣る。軍役で無理をさせると離反する可能性が高くなり、ここぞという時に動員ができない、という性質がありました。
 境目の領主たちは外敵にさらされており、万一の時に守ってくれる存在でなければ大名に従う理由はなくなってしまう訳ですね。なるほどなーっと。
 さらにそこから瀬戸内海の水軍たちも徐々に織田方に転じていくと、中国地方の交通は陸路よりも水路が主流であり、それを相手方に握られてしまうと補給が滞ってしまう。つまり最終的に毛利家が敗北したのは自分家の体質と、補給線を絶たれて継戦能力が落ちてしまったから、なんですねー。
 それだけでも面白かったです・・・あ、昨日読んだ漫画の話は、また今度に。