読み終ったものが・・・

 ええっと、なんだっけ?
 あ、今朝は台風一過というにはあんまり清々しくない朝ですね。これも自転車並みの速度で移動する台風五号のせいですな。
 んで、読み終ったものですね、はいはい。これ。

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 あ、続編がまだあるんですね。自分が読んだのは前作の方です。英国人でも著者の方はフランス料理を勉強したフードライターで、少し感性が違うかも知れませんが、ヨーロッパの人の味覚から見た日本食の話です。
 自分、ずっと不思議だったんですよ。人様がこさえた和牛のもも肉でローストビーフをつくると、柔らかく、刺身に近くなるというのに、自分がオージービーフのもも肉でローストビーフをこさえると、雑巾・・・げふんげふん・・・とにかく固いのですね、食感が。これは人様に出せるものではない。アメリカ人も和牛を食べた後だと「アメリカの牛肉はサンダルの底だ」とかいうぐらいなのに、なんでこういう肉質のものをつくるのかなーっと。
 この本を読むと解ります。正確には続編の方ですが。「肉には歯ごたえが欲しい」というのが彼らの欲求なんですね。とろけるような食感など肉ではない、という訳です。まぁ、解らないでもないなー。
 あと、印象的なのは和食の職人関係者が、和食離れを一様に嘆くのですが、当たり前だろう、とか思います。平均的な二十代の人間が外食に使える金額が幾らか知りませんが、コースで何千円からン万円のものを、年に何回食べられると思うのかな?
 敷居も高く、カジュワルでもなく、構えなければ食べられない食事なんて、そういうものが好きな人、お金に余裕かある人でなければ無理ですよ。バブル時代のように会社の経費でアホみたいに飲食ができる時代ではないのですから、千円前後でカジュアルに食べられる様式を最低でもつくらないと無理ですね。一見さんお断りなんて、マジで広める気ないだろう?ですよ。
 もちろんそういう格式や値段設定で最高のものを食べるという文化は否定しないけれども、それはごく一部の好事家たちの話であり底辺を広げなければ、絶対数が減っていくのは当たり前です。
 伝統文化とかもそうだけど、やせ我慢でやっているものに後継者なんて育つはずがないでしょう?食べていけるように敷居を低くしないと多数を引き込む事はできない。江戸前寿司だって、今でこそ『高級料理』の顔をしているけれども、もとはと言えば街角で手軽につまむ、ファストフードなんですから。
 なーんて事を思いました。