赤葡萄酒な日々

 はい。金土日と三日連続で赤葡萄酒を飲みました。それだけぢゃないけどね。
 今年は土曜日のみの参加であったDAC愛知ですが、旧知のIさんから某ツクエアソビさんの内側を垣間見、あ、これは崩壊ですな、と理解しました。外側から見ていると残念で仕方ないけれど、内部からすると、くるべきものがきた、みたいな部分もあったのかも知れません。
 とはいえ、旧スタッフの皆さんがTRPGへの興味を失わず、プライベートでもコンベンションでも遊び続けてくれる事を願ってやみませんねぇ。
 さて、土曜日のd20クトゥルフ、自分のクトゥルフ・ダークエイジの参考にさせてもらうという意味もあったのですが、ふむ。やはり戦闘とかないとあっさり終わるものですな。ホラーものに戦闘がいるのか?というのもありますけれども。それを踏まえて、シナリオ、少しいじろうかしらん?
 そして読み終えたもの。

 全生涯が九十三年という長寿の人物の、だいたい五十代までの評伝・・・みたいな?何故後半生がないのか?というと、この人の書簡、頻繁に花押とか印判が変化して、しかも『信幸』から『信之』に名を変えたのも確たる理由があった訳でもなく、『信之』に変えた後も一時期『信幸』を使用したりと、古文書の年代特定、整理が進んでいないというのが実情で、有名どころの父昌幸、弟信繁と同時代は比較的整理ができているので、その前半生をまとめた、というもの。
 豊臣大名としては一族の惣領は父昌幸ですが、信幸も別個の領地家臣を持っていたため、関ケ原の戦いで別行動がとれたこと。その関ケ原の戦いで明確に徳川勢と戦ってしまった真田昌幸、信繁父子は、豊臣家が健在である以上、赦免する事はできないということ(毛利、島津は直接交戦していないと言い抜けた)
 また信繁(幸村)が穏やかな人柄で「日本一の兵」と称えられたのに対して信之は勇猛な人柄であったようですが、その政治的立場を保持し続けた事から穏やかな人物であると評価されがちであったりと、通説とはだいぶ異なる実像も面白かったです。
 後半生の古文書整理、研究が進むと面白いですよねぇ。