ダークエイジの説明ばかり思いつく

 クトゥルフ・ダークエイジのシナリオをこさえて、七月のとらいあどさんに持ち込む計画なのですが、これがね、ヨーロッパの暗黒時代の説明ばかり思いついてしまってシナリオの方がガガガ・・・どの程度の敵の強さにするのが適切なのか解らない。やり過ぎると全滅するし、ギリギリのところで生き残って恐怖を体感してもらうには、どうすればいいのかなぁ・・・
 まぁなんで中世ヨーロッパが暗黒時代と呼ばれるのかというと、思索、思考的な観念の問題は置いといて、物理的な理由は安全保障の破綻に行きつくと思います。つまり「安心して暮らせないから暗黒の日々」という。
 古代ローマは効率的な安全保障システムをもって地中海世界に「パクス・ロマーナ」を実現しましたが、マルクス・アントニウスあたりから綻び、破綻していきます。理由は様々な点があるのでしょうが対処が後手に回り、追い付かなくなり軍事費の増加と官僚の増加が経済を圧迫、システムの破綻を個人の能力で補い、追い付かなくなり・・・で民族大移動で決壊。
 国家が安全を保障できなくなると個人でやらざるを得なくなりますが、どれだけ大地主でも資金力の面で国家にはかなわない。そしてそういう脆弱化を見越したように活動を活発化させたのが『サラセン』と『ノルマン』の海賊たちです。
 彼らはカリブの海賊と異なり海上で襲うよりも陸上の防御が脆弱な集落を襲撃して奪っていきます。それに対応する軍事力は個人経営規模で守る範囲が広すぎ、結局人々は逃げるとか、防御が堅固な拠点を設けて籠るしかない。
 安心して仕事をする事ができない状況。現在日本では想像しにくい生活環境が暗黒時代と呼ばれる中世初期でした。
 為政者も黙ってみている訳ではなく、フランク王国カール大帝、のちの神聖ローマ帝国の系譜につながる『ローマ皇帝』たちは防衛システムの構築を試みますが、結局彼らも巨大な個人地主というだけでしかなく、システムとしての国家を構築する事はできませんでした。初期の神聖ローマ皇帝はローマ教会のシステムを利用して官僚システムのようなものを作り出しますが、世代の経過とともに教会利益を代表する、つまり教団の私物と化してしまい、軍事力を担う巨大地主の諸侯や皇帝と対立する始末・・・
 この聖俗の対立が中世中期以降の焦点になり、守られている側である筈のローマ教会が、あろうことか庇護者の皇帝の権威を失墜させた事により、両者共倒れ。入れ替わるように勢力を伸ばしたフランス王が巨大地主としてヨーロッパ最大の勢力として君臨していきます。まぁ彼らも前近代的な存在でしかなく、十六世紀のブルボン朝、ルイ十四世の時代まで国家といえるようなものを作る事はできなかったのですけれども。
 ってね、こんな感じに説明はいくらでもできるけどね・・・シナリオが進まないですよねー・・・うーむ・・・