やっと読み終えた・・・

 時間がかかったにゃあ・・・

 彼がいなければ太平洋戦争は起きなかっただろう。そんな事を言われている軍人です。とはいえ、これから主導権を握る・・・というところで凶刃に倒れてしまわれた人なので、死人に無能はいないという論法もある訳ですが、この人自身は現代では主流の軍隊統制を行おうとした、つまり『統制派』の創始者みたいな人でした。
 まぁ現場の暴走を許さないという今日では当たり前の発想なのですが、大正から昭和あたりは、その分岐点という時代でした。電信などの即時に取れる連絡手段がない場合、上部指揮官の判断を仰げない場合は、現場の指揮官が判断を下さなければならない、というのは普通にあります。
 それを「ベンチがアホやから」と確認手段があるにも関わらず無視する連中が、満州事変とか上海事変とか、まぁ日中戦争を引き起こしたと言えるでしょう。その当時、永田という人は中央にあって、その暴走を修正、ただそうとした人でした。ところが仲間内の分裂から感情的な派閥抗争に発展。冷や飯を食わされた側は永田さんと当時の上司林銑十郎の抹殺を目論み、永田さんには運がなかった、という事になります。
 彼が目指したものは第一次大戦から始まった総力戦に対応できる体制でした。しかし、どうも後世の目から見ると、工業力に劣るから精神力で補うというくだりが納得できない。人のやる気なんて風見鶏みたいでくるくる変わります。やる気なっしんぐの人が何かのきっかけで頑張る事も少なくない。しかし基礎工業力、技術力というものは一朝一夕で成し得るものではないし、総合的な国力というものは精神力を重視するものではないと思います。
 ただ一軍人の立場を超える事のできない彼としては、工業力育成は政治家や行政官僚が主導し、資本家が動かなければ不可能であり、軍人は与えられた状況で最大限の戦果をあげなければならないとなれば、精神論を主張するしかないのかも知れません。
 それを東条英機あたりからアホな方向に捻じ曲げましたが・・・そういえば彼は東条英機の事務処理能力、行政能力を高く買っていました、が、東条には永田の視野はなかったのでしょうね・・・
 しっかし、石原莞爾とかって度し難い男だよな。こういう男が好評価を得ている辺りが、日本人のものの考え方なのかねー・・・