小難しい方
昨日はマンガだったので、今日はそうでないの。まず、読感も本も一番重いものから。
- 作者: 安田二郎
- 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
- 発売日: 2003/03
- メディア: 単行本
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そもそも武帝司馬炎は三十歳で亡き父司馬昭の後を継ぎ、魏を簒奪すべく晋王となりました。この司馬昭は魏の権力者司馬懿の二男であり、司馬氏に対する反乱を鎮圧する中、命を落とした司馬師の弟で、蜀を滅ぼした大功を持っていました。彼ならば形骸化した魏王朝から簒奪するのに不足はありませんでしたが、司馬炎自身、そういう功績はない。
そこで彼は服喪を厳重に守ったり、朝臣の意見を尊重したり、貴族たちが望む絶対者としての皇帝ではなく『第一人者』としての皇帝としてふるまいます。
しかし呉を滅ぼして天下統一してしまえば話は変わります。およそ百年間の混乱に終止符を打った政治的な業績は誰からも指を差されるようなものではない。
ところが司馬炎には悩みの種がありました。皇太子の無能です。そして彼には皇太子以外に目ぼしい成長した息子がいませんでした。男盛りの時期に立て続けに父母の喪に服し、その為、女性との性行為まで禁じていたようなのです(その時期に彼の子供が誕生した記録がない)。
更に西晋は魏が皇族を虐げ、緊急の時に役に立たなかった事を鑑みて、司馬一族を王に封じていますが、封じた者には近親者でも代が下れば親しみなど薄れます。強力な叔父、従兄弟たちよりも息子の王を増やし、頼りない皇太子の手助けにしなければならない。それで出身階級が同じ妙齢の女性を百人単位で後宮に入れたのですが、願い空しく、彼はそうして生まれた息子たちが成人する程長生きしなかったし、たとえ弟だろうと政治的には何の頼りにもならなかった事はその後の八王の乱で皇族が無能の恵帝を棚にあげて恣意的な権力闘争を繰り返し、結局西晋王朝の滅亡となります。
しかし『貴族の中の第一人者』というイメージと権力しかない東晋以後の南朝の諸王朝は、身内しか信じられないと同じ過ちを繰り返し、そして同じように衰退します。
まぁ『愚か』とか『暴君』という評価の裏には、そういう評価を下した人間の悪意を考えるべきで、その人の行為にも案外合理的な考えがあったからかも知れませんね。
ちなみに同時代の呉の『暴君』孫コクは皇位継承から遠い血筋から登極し、閨閥強化の為に後宮の人数を増やしており、拡大政略結婚ともいえる政策だった、と評価しています。
面白いですネ。そして他の本は明日に回します・・・