胃がキリキリ
自分がやらかした事に気が付き、胃が痛くなりました。はい。おばかな男でござります。
昔、データ入稿を検討していて諦めた時の事を夢だか、今朝の目覚めだかで思い出しました。ノンブルが打てないからだ。人様から教えてもらったサイトに、そのやり方があるのかどうなのか。調べてみまする。
そして読み終わったもの。
- 作者: 渡邊大門
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2013/05/10
- メディア: 新書
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秀吉は戦いに非戦闘民を含めての殲滅を持ち込んだ男でもありました。それが秀吉の残虐性と著者は論じますが、違う見方もあるのではないかと思います。
老人、女子供、そして非侍身分は、殺しの技術を幼少から学んだ戦闘のプロである侍身分からみればとるに足らない存在、雑魚であり、戦闘の目標にはなりません。侍首、大将首を取ってこその手柄であり名誉であるのですが、しかし下層民出身の秀吉は違います。非戦闘民だって働き様によっては十分な戦力となる事を知っているのです。例えば城の修復、主戦力の侍にそれをさせず戦闘に専念させれば、休息させる事ができます。
籠城側で武器の手入れをしたり、水を汲んだり、食事を用意したり、雑用で役に立つことはたくさんあります。彼らを含めて皆殺しにするという行為は、非戦闘民も戦力であるとみなしている訳で、彼らに対する見せしめ行為でもある訳です。
秀吉軍と戦うからには、こういう惨劇が待っている事を覚悟しろよ、と。
戦国時代というのは地域的な国民国家のようなものが現れた時代という説があります。城研究家の中には戦国の城は非戦闘民まで収容するほどの規模はない。戦闘員のみが籠る場所であるという方もみえます。
しかし、少なくとも大名の本拠はそれなりに非戦闘員も収容できる規模であるのかな?秀吉が行った三木城や鳥取城の『渇殺し』は非戦闘民まで追い込んでの惨劇であった筈です。第一次大戦からこっち総力戦の様相となり民間人が殺されるのは当たり前ですが、その萌芽をみたような気がします。
それが秀吉個人の性格と関係あるのかなぁ・・・どうでしょう?