時代の子

 読み終えたもの二冊。

山本五十六 (人物叢書)

山本五十六 (人物叢書)

 艦これをやっているので、読んでみようと思い立ったものですから。
 良く旧日本海軍は陸軍に比べて良識派だったとか何とか言われますが・・・そんな事はなかったよ。どっちも時代遅れの軍隊だったよ・・・というのが読後の感想。
 第一次大戦まで世界の海軍のトレンドは艦隊決戦でした。主力艦隊よる勝敗で雌雄を決するという思想で、日露戦争が正にそうでした。ところが第一次大戦が始まると、ドイツ海軍もイギリス海軍も艦隊を温存する方針に。そりゃそうだよね。建造に多額の予算と時間(二年ぐらいはかかる)戦艦を、たった一回の会戦でそうそう潰せる筈がない。存在する事に意義があるモノに成り下がっていたんですね、戦艦。
 山本五十六氏は航空機の戦力化に積極的で、砲戦畑から転向するほどの入れ込みようでしたが、その思想はやはり艦隊決戦でした。
 しかし彼の方がまだマシといわれるほど海軍の戦略思想は硬直化していて「アメリカ艦隊が日本近海に出てきたら、艦隊に決戦ね」という、それしかないのかお前ら!という人々。真珠湾攻撃が中途半端になったのも「南海侵略で忙しいのに、なんでハワイなんかに戦力さかなきゃならんのだ?山本がうるせぇからお茶を濁しておこうぜ」という理由だったらしいです。
 しかし海戦の主力は空母、そしてそれを強固な対空防御陣形で守る事にあり、駆逐艦を主とした艦艇での攻撃になっていて、日本が多額の貴重な予算と資源を投入した「大和」「武蔵」などの大型艦の出番はどんどん減っていき、大戦中期はほとんど出てこない。大戦末期は防空艦として改造されてしか活躍できないという・・・艦隊決戦はどこにいった?
 もともと日露戦争の「日本海海戦」のような艦隊決戦こそ希な例でして、しかし日本にはその圧勝の記憶しかない。そこに理想を求めてしまうが故に、その形にこだわり思想が硬直化していくという・・・普仏戦争でボロ負けしたか第二次大戦であっさり負けたフランス軍のような感じになっていました。
 総力戦の思想すら理解しておらず「八分の勝ちで満足」なんて悠長な事を言っており、輸送艦を攻撃するという事すら消極的。
 しかも山本戦死後、本当の意味で戦局を理解していた者すらおらず、何故そこに戦線があるのかも理解せぬまま、陸軍との協調もせず撤退するという・・・
 まぁアレですね、日本が負けたのは軍隊が官僚化してしまっていて劣勢の国が戦うのに必要な柔軟性というものに組織が欠けていたからなんでしょうね。
 その意味では山本も時代の子で、緒戦の勝利に慢心し、戦訓を見落とし(というか敗北した戦いの指揮官を良く調べもせず無能呼ばわりするとこなんか・・・もう・・・)ミッドウェーでの決定的敗北を受けるまで理解せず、その時には自分が手塩に育てた多くの艦載機搭乗員を失うという始末。
 まぁ負ける時はそんなものなんでしょうね。
 彼らの武士道は実戦的な戦国時代のそれではなく観念化、理想化された江戸、明治のものだったのも敗北の理由かも。
 その江戸を始めた人の本がコレ。 家光さんについて解ったこと。体があまり丈夫ではなかった。責任感が強かった。公家出身の正妻との仲がしっくり行かず、しかも正妻は鬱病気味だったらしいこと。島原の乱前には命すら危ぶまれる病身だったらしく、将軍死亡噂が島原の乱が発起した一因だったらしいです。
 自身の病気や、政務の忙しさ、そして正妻とは性的生活を営めない状況だった為、後継者を得るのが遅れたようで、別に女性に興味がなかった訳ではないようです。
 幕府の組織が出来上がっていないので、将軍の役割が大きく、しかし戦国を生き抜いた家康、曲がりなりにも関が原や大阪の陣に参加し、織田豊臣縁の女性である江と結婚してそれなりの権威を有していた秀忠と比べて、彼には何のカリスマもなく、自分でそれを創設しなければならなかった、そして徳川将軍の権威を作り出したが彼でした。
 しかし彼が死亡した時、後継者は幼少。幕府は彼が定めた政策を行う他なく、いつしかそれが祖法となり絶対化してしまい、鎖国なり軍事的に劣化してしまった幕府体制なりが結果的にできてしまったというのも、面白いなぁと思いました。