天気予報は予報であって(略
まぁ、そんな感じ。
土曜日はD&D3.5eセッション。六人PT全員出席で、微妙にギリギリ言わせる遭遇になり、自分的には良かったかな、と。しかしやっているシナリオが四人PT用なので、経験値が少ない。ぶっちゃけLv2足らない。
あんまり敵を強くして経験値暴走するよりは・・・と思っていましたが、これはこれで問題なので、次回から若干敵の数を増やすようにします。若干です・・・若干です。たぶん。
日曜日は一転して四人PT、上記六人PTに参加されている方、古参の四人の方たちとプレイした時は、こんな状況にはならなかったのに、どうしてこうなる?みたいな危機的状況が今回も発生。いやー、参加される面子によって状況は全て変わるもんですねー・・・さじ加減が難しいです。
そして読み終えたもの。
- 作者: 瀬原義生
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2009/10/01
- メディア: 単行本
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もともとハプスブルグ家は高アルザス地方の有徳人、つまりお金持ちで九世紀から十世紀までさかのぼる事ができるようです。神聖ローマ皇帝になった時、ライヴァルのボヘミア王オットカールが「貧乏伯爵!!」と罵っていますが、そんな事はなく、高アルザスと北スイスの収入を合わせると当時の選帝侯クラスよりやや下回る、それでも有力諸侯だったようです。だから国王選挙で選ばれたという。ただの貧乏伯爵を国王にするはずもないし。
ただハプスブルグの支配というのは守護権と訳されているもので、つまり警察権を持ち、あがりをいただくという風情で徹底した収奪を行えるような支配ではなかったようです。くわえてザンクト・ゴットハルト峠開削はスイス人自らの手で行われ、その管理、つまり関税はスイス原初三州の一つウーリが行っていたという・・・あれ?
つまり、スイス原初三州は抑圧されたが為に立ち上がった人々ではなく、アルプス越えの要衝をおさえ経済力を持った人々が、自分たちの権利を主張する為に戦ったのである、と。
まぁ指揮官を捕虜にして身代金を要求するハプスブルグ騎士軍よりも、敵は皆殺しだ、ひゃっはー!!なスイス軍の方が問答無用の殺戮を展開したそうですからネ。
ただ、その戦いでスイスは完全に独立したわけではなく、ドイツやイタリア、そしてフランスの諸勢力との間で戦ったり、同盟を組んだりして結果として認められたみたいな感じ。
スイスの悲哀を描くなら、スイス傭兵の歴史を描いた方が、もっと史実に即した物語になるんじゃないかー、と思ったりしました。