鼻水は働くと止まります。

 今さっき、入荷した荷物の整理と、配達する荷物の整理をしていたら、何か鼻が楽になったようですよ?鼻が楽になると居眠りしやすくなりますよ?ダメな感じですネ。
 それでも読んだ本はあるのでした。

選書日本中世史 1 武力による政治の誕生 (講談社選書メチエ)

選書日本中世史 1 武力による政治の誕生 (講談社選書メチエ)

 武士による政権奪取の考察なんですが、興味深かったのは『皇国史観』への批判。軍国主義への思想的裏づけとして存在した『皇国史観』ですが、富国強兵、つまり武力信仰な訳じゃないですか。ところが天皇明治維新になるまで長らく軍事力の頂点に立った事がない。院政期に武士団を囲った事はありますが、承久の乱で完敗して以来、まったく戦力というものを組織できず、腕っ節仕事は幕府に任せっきり、延暦寺興福寺清水寺の強訴を制御する事すらできなかったのですよね。
 鎌倉幕府を倒した天皇とされる後醍醐天皇も指揮できた兵力は数百人。足利尊氏が寝返らなければ配流された隠岐から脱出した後にとっつかまって、幽閉、餓死なんて末路がまっていたかも知れない。それ以後の天皇は幕府に税の取立てをしてもらわなければ、儀式どころか収入もままならないという始末。
 という訳で軍事的にはまったく無力な存在の歴代天皇をまったく棚上げしたものが『皇国史観』という・・・真面目に学んだら不都合だから・・・
 歴史学で陥る罠というのは、「この歴史上の人物はこういう人物だったに違いない。だからそれ以外の資料は偽物だ」と判断してしまう事。事実は小説よりも奇なりという言葉は歴史にも当てはまる事であり、『傍若無人な革命児 織田信長』とか『義の武将 上杉謙信』とかというイメージこそ、最も危険なものなのでしょうね。
 しかし、『皇国史観』の信奉者が歴代天皇をほとんど研究対象にしなかったとは・・・呆れて物が言えない。まぁ平泉澄って人は戦前に弟子が「農民の歴史をやります」って言ったら「君、農民に歴史はありませんよ。豚に歴史がありますか?」とか抜かしたらしいですから。この系列の人が新しい教科書をつくる会とかやっているらしい・・・ちゃんちゃらおかしいですネ。