ネトゲでナニを話しているんだか

 昨夜ROで棚9の臨狩りに参加できなかったので、溜まり場でのんべんだらりと過ごしていました。手には何故か宮崎市定さんのコレがあったりしましたが。

九品官人法の研究―科挙前史 (中公文庫)

九品官人法の研究―科挙前史 (中公文庫)

 いや、この手の本にしては大変読みやすい文章ですよ。ただ漢字使いが難しいのですが。半世紀前の作品だもんな。
 それはさておき、だらんだらんと装備の事について語っておったのですが、主に高いとか高いとか高いとかという話題ですが。その時『源氏』というギルドに属している方が見えましてね。つい「源氏は一世皇子、つまり天皇の子供のみに与えられる賜姓」と言い出して・・・うーん、溜まり場の人はどん引きですよネ。
 それでふと清和源氏は厳密には武士ではないと書いたところで、そういえば本当の意味での『武士』が政権主催者になったのは織田信長からだよな、と思い至りました。
 もともと武士というものは侍ともいい、これは『侍身分』の者という意味でした。『侍身分』とは具体的には朝廷の官位で六位以下のもの。律令制が成立した時はたくさんの官位があったのですが、平安時代には六位までしかないも同然で、それ以下は地下人、一般人というくくり。官位が六位どまりの人はそれよりも高貴な貴族、皇族に仕える、さぶらう者という事で侍となります。
 では平清盛とか源頼朝はどうなんだ?というと彼らは軍事貴族といわれる受領階級の変形で、国税を取り立て、富を蓄えるのが受領と呼ばれる中級貴族なのですが、加えて武装集団を抱えていて、摂関家や院などの要請にしたがって武力を行使できる人たちでした。もともと一般人はおろか、侍身分よりも上の人たちなんです。それでも四位まであがって内裏にあがる事ができるって身分になれるか、なれないかっていう瀬戸際な人々ですが。
 源氏三代の後、鎌倉幕府を主宰した北条氏は間違いなく侍身分ですが、主催はあくまで公家将軍や皇族将軍でしたしね。
 足利氏が何故室町幕府を開府できたかというと、?残された清和源氏の中で最大勢力であった。?源頼朝と親戚関係だった。んで官職は受領。官位は五位クラス・・・だったかな?とにかく五位というのは大夫身分という奴で侍よりも上なんですね。
 室町幕府守護大名たちは在京の大名たちはほとんど足利氏の傍系です。細川、斯波、畠山、一色、これらは皆そう。特に将軍を補佐する管領は細川、斯波、畠山ですから、血統としては清和源氏の流れを保持している。
 ところが織田氏は、信長が先祖を藤原から平氏に変えちゃうほど、はっきりしたい資料のない家柄。流浪民の家系だろうといわれる秀吉、新田系清和源氏の家系を買ったけど、実は三河の山で行商から身を起こして徐々に土地を買い取り、豪族化していったらしい松平家出身の徳川家康すら、氏素性の知れない先祖しか思ってない。
 そう思うと、戦国時代というのはそれまでの日本の価値観が根底からひっくり返った稀有な時代だったのだなぁ、と改めて思ったりしたり・・・五・六分で考え付いた事を二十分以上かけて文章化するってのもアレですね。しかも意味がないという・・・ふぅ。