自分の常識を疑え

 いや、お祭りに毎年参加している野菜を売っている人。どー考えてもヤ○ザだろ、みたいな事を言われたので、もういいよ、という投げやりな気分で応対。これでお祭りにはもうこないよねー、と思っていたら、少し考えがあるので任せてよ、と他のスタッフをやっている・・・今年大車輪で働いている人なんですが、その方に任せたら、あっさり出るという返事。どういう話かというと、どうも相手の方は「自分はボランティアでやっているんだ」「漢なんだ!!」という事を認めてもらいたいというか何というか、そういう言質をこちらから引き出したかったようなんですネ。下手に出てそれを認めると「よしっ、準備はしとらんが出たる」という話になったと。
 テ○屋の相手をしていい加減うんざりしていた私は、「ボランティアって事をわざわざ協調するところが、なんだかなー」「漢がどーしたっていうねん」という否定的な見方に傾いていたので、そういう相手の心情を汲み取れ・・・って、すんげい面倒な人だよナ。落としどころが解れば話がスムーズに進むという、そういう外交というか営業というか、そういう事を見せてもらったような気分。反省。
 しかし、イ○○ヤやっているからのぉ、どうしても視野が狭くなっちまうのぉ・・・
 それはさておき、読み終えたもの。

室町幕府軍制の構造と展開

室町幕府軍制の構造と展開

 今現在残っている資料から解る、室町幕府の軍事構造を論じたもの。同時に、応仁の乱を契機に戦国期に入っていく社会構造も語っている、ような気がします。
 足利将軍、室町殿の行使できる軍事力は守護大名とその配下の国人と室町殿に直結している、いわば『旗本』的な国人の二種に解れ、それらが連合軍を結成し、室町殿と在京守護の合議の下、決定された戦略目標を現地の連合軍会議で戦術的に達成するというやり方。
 ところが四代将軍足利義持の時代より、軍事動員されても決定的な勝敗に持ち込まず政治的決着をはかるようになった為、新規の領地を配下に与える事ができなくなり代わりに感状という、まぁ感謝状と武具を与えるという褒賞になりました。それが名誉な事であると、武士たちにとって足利将軍は天皇にも等しい雲の上の存在なので、そういう事になると認識されたようですが、六代将軍足利義教の時代から前代の大飢饉の影響からか訴訟が増加、軍事的衝突が増え、その問題を迅速に処理する為に義教は少数の重臣、のちには側近とのみ図って決済し、更に軍事行動が起こるとそちらの処理を優先させた為、訴訟審理がストップという事にもなりました。
 この傾向は義政の時代に更に進み、有力大名には何も相談せず伊勢貞親や他の私的側近とのみ談合して決定。それに不服な、まぁ現場の事、なんも知らんのに好き勝手いいやがって、できるかーという意見が大名や国人たちの間に広がり、将軍の命令に従わざるを得ない直属国人は苦労して戦っても恩賞がもらえず弱体化。惣家が庶家を従わせる事ができなくなり、これが『下克上』といわれるものの一部になる、と。
 細かいところで反対意見が出されているようで最後の章はその反論で面白くなかったけど、室町殿の軍事力がどのように調達され、そして崩壊していったのかが解ります。象徴的に力が衰えた、といわれるよりも因果関係がはっきり解る事の方が面白いですわい。ふふふ・・・