そういえば蝉の声を聞いていない?

 梅雨も明け、晴天でありますが今日に限らず今年は一度も蝉の声を聞いていません。あれれ?
 自宅がある守山区は宅地化が進んでしまったのか?店のある中区は最近流行の都心蜜蜂に餌となる樹液を奪われてしまったのか、大変静かな夏です。なんか寂しいなぁ。
 まったく関係ないですが、読み終えたもの。

室町幕府論 (講談社選書メチエ)

室町幕府論 (講談社選書メチエ)

 結構難しそうな題名ですが、何の事はない室町幕府の収入源はこうでしたよー、という話。一番派手だった足利義満日明貿易の莫大な収益を使って幕府を運営し金閣寺を始めとする広大な『北山第』をつくったり、煌びやかな儀礼儀式を主催したりしたそうです。
 一時期足利義満天皇家にとって変わろうと試みた、という学説が流行りましたが、その後の研究によると公家が足利義満に尻尾を振り、天皇をないがしろにしていた理由は、まず自分たちの荘園から収入が届かないと朝廷に訴えても拉致があかず、幕府に訴えないと効果がなかった事。朝廷自体にお金の収入がなく宮廷儀礼を行えなかった事。天皇自身の政治力が乏しかった事。などがあって、まぁそりゃあ尻尾の振りがいがある権力者につくわな。
 義満も自分にとって重要な儀礼にはお金は出すけど、例えば天皇の父の法要なんかには出し渋って、結果として天皇の権威が地に落ちるという事になったらしいです。
 このまま義満路線が続けば室町将軍が天皇の権能を乗っ取るような事態にもなったかも知れませんが、父親と折り合いの悪かった義持が跡をついで状況は変わります。
 まず貿易は取りやめにしてしまって、収入の軸を京都金融、酒家からの税金にした事、あと守護大名からの国別供出金を下にして儀礼を行うようになった事。朝鮮の対倭寇作戦を『外敵襲来』と捉え神社仏閣が、うちんとこの神さま仏さまのおかげで退散したんやーと言ったり、あと未曾有の飢饉が起こってきちんと古来の儀式を行う事が大事であるとの認識が起こった事。
 そういう認識が将軍、幕閣に広がった為に復古調になり朝廷とも融和路線をとるようになったらしいです。
 あと収入が完全に都市型になり領国の支配を家臣にあずける形になった在京守護大名が増えた事が、彼らを領国から遊離させ下克上にいたる下地ができた事も。
 考えてみれば戦国大名化できた守護大名応仁の乱前後から在国し、再び家臣を自分の指導下に収める事のできた者ばかりでして、なるほど面白いですネ。
 うがった見方とは思うのですが家格では最も足利将軍家に近く、最も初期から管領として権威を持った斯波氏は在京率が高くて、結果として全ての領国を応仁の乱前後に失うような形になったのは、遊離してしまった守護大名の典型なのかも、とか思ったり。
 なかなか面白い本でした。で著者は・・・同い年?ほほー、自分もそういう年頃になったんだなぁ・・・