土曜日に書くのは久しぶり・・・かな

 休みの日はほとんど書かないのですがね。
 もうすぐ読み終わるもの。

メッテルニヒ

メッテルニヒ

 ジャーナリストだった人の手になる文章・・・ですが、やや読みにくい。これは年代的なものなのか?自分の好き嫌い、単純な好みがあらわになっていて、いいのかな?とか思うし、同じ趣旨の文章が何度も出てくる。あんまりいい文章とは思えない。
 しかし、『保守反動』という言葉で表現されるナポレオン戦争後のヨーロッパを、自由や平等を求める声を弾圧し続けた厳しく、古めかしく、頭ガチガチの頑固親父というイメージは完全に間違っているというのは楽しかったです。
 メッテルニヒの出身は意外にもオーストリアではなくライン川沿いの、つまりかなり開放的なドイツ。社交的でタレイランに近い人物像。典型的な十八世紀貴族で、社交的で教養が深く、ドイツ語、フランス語、英語、スラブ語、イタリア語などなどを操り、背が高く、美男子で、頭の回転が速く、理性的で、戦争と暴動が嫌い。
 フランス革命と遭遇したのは二十代の学生時代だったようですが、彼が目にした『革命』とは暴動と恐怖政治でした。だから『革命』や旧来の秩序を乱すものを嫌いました。
 しかしかといって抑圧的な性格ではなく、ナポレオン戦争後のヨーロッパの平和と秩序の再構築を目指し、場合によっては諸民族の自治を大幅に認めて緩やかな、連邦制のようなヨーロッパ機構を模索していたようです。今のEUのように。
 だが時代は保守反動。彼を信頼し、彼を引き立てたハプスブルグのフランツ帝からして支配領域の少数民族自治など認める事はできないという感じ。君主制を奉じるメッテルニヒはそんな皇帝に逆らう事はできず、陰口を叩くぐらいが関の山。そして民衆にとっては憎むべき象徴としてメッテルニヒは祭り上げられていく・・・。
 勢力均衡による平和秩序への模索は、何もメッテルニヒの始めた事ではないのですが、単なる懐古主義者ではなく、国際会議の場で諸問題を解決し、戦争というものを極力排除しようとしたところが評価されるべきなのでしょう。彼が始めた体制は、プロイセン・ドイツの台頭による2つの戦争(普墺戦争普仏戦争)が例外的に起こったものの、全ヨーロッパを巻き込む大規模戦争は第一次世界大戦までヨーロッパに曲がりなりにも平和をもたらしたのでした。
 その意味では積極的に評価すべき人物なのでしょうね。
 しかし、メッテルニヒも人物としてのナポレオンは好きだったのかー・・・ただ全ての力の源泉を戦争に求めるナポレオンの発想だけは危険視し、軽蔑していたようですが。なかなか複雑だねぇ。