すごいもんだ

 いや、そうでもないか。
 昨日の夕方、三十分足らずで『Polmeria』のプロローグを書いてしまったので、なんか自分で「すごくね?すごくね?」とか言ってみる。虚しいけど。
 いやいや、書こう書こうと前から色々考えている文章は、書き出せば早いもんなんですよ。出来は問わないならネ。これから本文も含めて読み直し手直し作業に入ります。ぼちぼちやるですよ。
 『ギレンの野望』はシャア・ネオジオンに止めを刺して「ざまぁみろ!!」いや、スミマセン。個人的にシャアって男は好きになれなくて。よく考えみると裏切り常習犯でテロリストだよね、こいつ。彼なりの事情があるのは理解するが、二十七歳の時に十七歳のカミーユに殴られて「これが若さか・・・」とのたまった若い彼。振り返ってみると死ぬまでずっと思春期みたいだ。亡くなった時も考えてみれば三十三ぐらいか。十分青年だ。しょうがないか。「坊やだから」ネ。
 それはともかく昨夜ティターズ編を覗いてみたが・・・切なくなるほどユニットが揃ってねー!!平和ボケかっ。非武装の暴動鎮圧でお気楽に毒ガス使用して1500万人殺す無能集団だけはある。酷いよ、せにょーる。この集団を勝利に導かなければならないのか。前途は暗澹たるものですよ、せにょーる。まぁクリアしている先人がいるのだから大丈夫なんだろうけど・・・。
 そして読み終えた実際の歴史物。

エジプト近現代史 (世界歴史叢書)

エジプト近現代史 (世界歴史叢書)

 アクセスが集中しているらしいです。さすがエジプト・・古代浪漫?
 そんな古代の浪漫とは無関係な、19世紀から現代のエジプトの通史です。知日エジプト人の疑問として、エジプトは日本よりも五十年ほど早く近代化の道を歩み始めたのに、日本は先進国になり、エジプトは未だ途上国のレッテルがはがれない。これは何故だ?というものがあるそうですが、まぁ地理的条件も地勢的条件も、それまで歩んだ歴史も違うので、百数十年あまりの時間だけ抜き出しても仕方ないかな?と思いますナ。
 おそらくヨーロッパとの距離や地勢的な条件が全てを決したのでしょう。ヨーロッパから見て地中海の南側にあり、スエズ運河によってアジアとの交通の要衝になったエジプトと、開国当初は太平洋の寄港地としての価値しか認められなかった辺境日本の違いが全てを決した、ように思えますね。おそらく日清戦争で日本が清国に勝たなければ、ヨーロッパは日本の存在意義をそれほど認識しないのではないかな、と思いました。まぁそれがヨーロッパ、特にイギリスにいいように翻弄されたエジプトの歴史にとって慰めになるか、っていったら、んなわきゃないんだけど。
 現在のエジプトも、まさにヨーロッパとの距離、アラブとの距離、アフリカとの距離で苦しんでいるようです。何処の国もそうなんだけど、他国との距離のとり方が運命を決するのだなぁ、とか思いました。はい。