今日は雨らしいです

 ただし、しとしとと降るのではなく、夕立のように思い出したら土砂降りって感じのようです。
 本業が暇で、かつてない不況というものを実感しています・・・ぎゃぼー!!いや、マジで暇すぎる。友人の話も夜中まで仕事をやっていた人が定時で帰るとか、このまま行くと数ヵ月後には会社事態がヤバイとか、そんな話ばかりですよ、せにょーる。
 という、暗い話はまぁ、これくらいで。
 昨日一冊本を読み終えたのですが、あんまり期待したほどじゃなかった。いや読んで楽しかったのは水戸黄門で有名な徳川光圀の為政者としてはた迷惑なところ。家康が定めたのは公4民6、つまり年貢は四割なんですが(今から考えると法外だよナ)、光圀は公5.3民4.7という・・・つまり半分以上年貢としてよこせという・・・ヒドス。
 他にも『大日本史』の編纂という文化事業で歴史上の貢献(?)をしているのですが、それが徳川幕府擁護じゃなくて朝廷万歳の歴史書なんですよネ。それも後醍醐天皇支持・・・のはず。これが幕末の歴史観を形作っているみたいなので、明治天皇に直接のご先祖は正当な天皇じゃなかったと言わせる羽目に・・・。なーんか、まともに考えると徳川光圀、はた迷惑なオヤジに見えますがネ。
 今読み始めたのですが、なかなか興味深いもの。

戦国のコミュニケーション―情報と通信

戦国のコミュニケーション―情報と通信

 読んだのは長尾為景と畠山卜山のやりとりなんですが、錯綜した政治情勢と確実な通信手段がない為、当事者同士が凄くもどかしく手紙のやりとりをしているのですね。
 事は越中攻めなんですが、越中守護は畠山卜山。この人は畿内、河内に在住していて越中で起こった反乱を直接鎮圧にいけない。おりしも中央政界が混乱しており、しかも自分の支配地である紀伊では反乱も起こっている。それで越後の長尾為景能登の畠山一族、加賀の与党などをつかって越中を制圧しようとするのですが、本気なのは長尾為景のみ(父親を越中の神保に殺された経緯がある)、加賀の一向一揆は中立を選び、能登の畠山義総は本腰じゃない。結局長尾為景は撤退を余儀なくされ、「本気で戦うなら卜山さんが出馬しないとダメじゃん!!」と連絡。畠山卜山も出向きたいのは山々だけど「将軍が追い出されてしまったので巻き返さないと」「政局が安定したから息子がいける」「また細川氏の内部分裂で畿内が不安定に!!」なんて事を繰り返しているのですネ。
 著者は連絡が取りづらいもどかしさを感じてもらえるといい、と書いてます。能力があり信頼できて、しかも当座は不要な人間じゃないと使者は務まらないらしいのですが・・・能力があって信頼できたら手元で使うよなぁ・・・むちゃくちゃな条件ですよネ。
 今はこういうもどかしさは、電話、メール等で解消されつつありますが、それでも忙しくなると(最近ご無沙汰な言葉だ)、そんなものじゃ間に合わないっって場面もあります。
 なんか、こういうネタって面白いですよねぇ・・・そう感じるのはあたくしだけかしらん?