デザインを変えてみた・・・?

 つもりなんですが、どうなんでしょう?変わっている?変わっていない?
 後でまて確認しておきます。いや、なんか出来心でして、はい。
 雨です。久しぶりの雨なので、少しばかり大気がおしめりしてくれたので、目とか楽になります。ディスプレイとか見続けているので目が乾きがちです。目を大切にしないと大変後悔する趣味ばかりいそしんでいるので、視力には気をつかっています・・・(大嘘
 もうすぐ読み終わるもの。

中世後期細川氏の権力構造

中世後期細川氏の権力構造

 応仁文明の乱以後の管領細川氏の支配体系とその権力について語ったものです。
 面白いなと思ったのは、この細川氏は四国の、今の香川県徳島県に本拠を持つはず・・・なのですが、管領職に就任すべき本家は摂津、丹波・・・つまり大阪府に北と兵庫県の東部の一部、そして京都府の山奥の部分を支配していました。他にも大阪府南部の沿岸部の和泉、岡山県に西部である備中、高知県である土佐などを守護分国として保持していたのですが、守護大名というものは在京が基本とされていて、代わりに在地支配を行うのが守護代といわれる、まぁ番頭さんみたいなものなのですよ。それがですね、だいたい徳島とか香川出身の人が多くてですね、何だか現代のサラリーマンの単身赴任を髣髴とさせるのです。
 後代の織田氏は、臨戦態勢という事もあってか、尾張出身の武将でも赴任地、例えば前田利家などは越前府中に領地をもらい、その後、その領地を召し上げられて改めて征服した能登一国を与えられるなど、場合によって本人と家臣団だけでなく、その領地も移動させられていたわけですよ。領地=収入であり、収入が赴任地にないと兵力を養う事ができず、戦争の役に立たないという事なんですが、細川氏はその点。先史戦国時代とでも言う状態でして、他国に赴任して権限を与えられても兵力なんて、自分の供回り数人しかいないので、戦争の役には立たないのですね。
 本家がしっかりしていて細川氏そのものが安定しているなら問題ないのですが、幕府内の主導権争い、権力闘争が激しくなり、当主細川政元が暗殺されると、もはやその支配を維持できなくなります。結果として在地勢力が実効支配を始め、細川本家は瓦解していき、変わって台頭してきたのが徳島・・・阿波で実効支配していた分家と、その守護代であった三好氏なんですねー。いやー、なんか謎解けたような気がして面白かったです。
 これの次は三好氏に関する本を読みます。
 おお、連続性があるなぁ。