曇ってた

 ちと寒かったっす。そして運転中にうたた寝・・・いや、車の中は温かいからネ。大変危険でしたよ。ははは・・・はぁ。
 内田百輭さんの本を読んでいて、ふと思ったこと。
 「先生とは呼ばれたくないなー・・・」
 いや具体的に先生と呼ばれたくないと内田さんが書いているわけじゃなくて、稀代の悪戯者でひねくれ者のくそ親父である内田さんは、「イヤダカラ、イヤダ」と芸術院入りを辞退しているのですが、正式に要請を受ける十年以上前に、どうもそれらしい動きがあると関係者から知ると、手ぐすね引いて断る準備をしていたというので、それに関して思い出した事がありました。
 自分が学生時代から私は先生とは呼ばれたくないっ、と思っています。別に力まなくても教師資格を取っている訳じゃなく、誰かに勉強を教えた事も・・・妹や従兄弟達はともかく・・・なく、放っておいても誰も先生とは呼ばないはずなのですが、それでも先生とだけは呼ばれたくないと思っていました。
 先生と呼ばれる業種って碌なものがないよなーっと思っているのが理由です。学校の教師はともかく、政治家や医者や弁護士に勉強をみてもらう事も、教えてもらうこともないし、そう呼ぶ理由はない。マンガ家や作家を先生と持ち上げるのも、何だか煽てて作品をひねり出させようと考えているみたいでイヤだ。だいたいそういうものは、書き手だけで作品が完成する筈がなく、読み手の感受性がなければためになる、あるいは面白いものにはならないものです。読んで面白いと思う人がいるからこそ、作品として成立するのだもの。作者は創作行為の片割れではあるが完成者ではないよね。
 自営業者が先生と呼ばれる事はないのですが、同人活動を始めたころ、最近会っていない大学時代の友人に「Pomta先生」と呼ばれていました。彼は他意はなく、その当時同人作家同士が先生を互いの名前につけていたから、そう呼んでいたらしいのですが、友人のする事だからと流していましたけど、一応「先生はやめて」といっておりました。
 二度目は読者の方から言われた時。こちらも「先生はやめて」とお願いしておりましたが、やっぱり言いたいと先方がおっしゃった時には返事をしない事にしておりました。
 まぁ「イヤダカラ、イヤ」の類なんですけどね。
 最近はそういう方はなくなり、お断りする快感がなくなって寂しくなってきましたが、「みずまし兄さん」と呼ぶ方がいらっしゃるのですよ。みずましってサークル名だし、貴方の兄になった覚えはないのだが、とは思うのですが、まぁ先生じゃないからよしとするか、などと流しております。
 おいらも結構偏屈者だぜ。