そういえば読み終えていました。

 『ローマ人の物語 ローマ世界の終焉』です。
 ひとつの国が勃興する時は、爽快感があります。
 ひとつの国が衰亡していく様には、やるせなさがあります。
 ローマ帝国・・・ローマ社会というものが崩壊していくのは、とても痛ましいものでした。それはひとつの誇り高い生き方の崩壊であり消滅です。それにとって変わったものが蛮族であれ、キリスト教であれ、なんとも歯がいくて醜く写るのだろう・・・それが著者の視点だからかもしれませんが、それにしても帝政ローマの、いわゆる元首時代といわれた五賢帝までの皇帝たちと、帝政末期の皇帝はまったく別物であり、そこにはローマ的精神というものが希薄になってしまい、ついには消滅してしまったようです。
 東西に分裂したローマは既に自己中心的な再生しない現状維持と崩壊に任せるような統治をし、東ローマ帝国がよたよたと千年の長きに生きながらえても、それはローマではなく別のキリスト教帝国に過ぎなかったのですから。
 『ローマ人の物語』を読み進めている時、なんだかアメリカのことを思い浮かべた時があったのですが、しかしアメリカ人は『植民地帝国』が嫌いで、ゆえに『帝国』というものを忌避し、一般的なアメリカ人は『ローマ帝国』というものを後期、あるいは末期のものしか思い浮かべず、覇権国家の意味を考えないようにしているのかも知れません。
 本当にアメリカが覇権国家ならば、各国の利害調整に責任を持つ筈ですが、アメリカはそこまで踏み込んで、そして最後まで責任をとって行動しているようには見えません。アフガニスタンの事も不徹底だし、イラクの問題にしてもそうです。政治の中枢を担う人々がキリスト教徒であり、本当の意味での『自由』や『平等』など考えないようにているからなのかも知れません。
 アメリカは自国の安全と平和には熱心ですが、他国の、それも同盟国のそれまでも熱心に守る訳ではありません。世界の平和を保つことが覇権国の役割であり、それがひいては自国の利益になるという考え方ではありません。
 ローマが滅亡してから千六百年の歳月が過ぎました。ローマ精神の衰退から数えれば更に二百年ぐらいはさかのぼるかもしれません。
 本当の平和がどんなものなのか、ローマ人の歴史は教えてくれたような気がします。
 その価値観からすると、今はやはり乱世なのかもしれません。