蒸し暑いのは梅雨らしいけど

 晴れてますね。明日は曇りで明後日は雨らしいですが、ほんとかな?
 今読んでいるのは、中国古代史を文献と考古学から考察したもの。春秋戦国時代、秦漢時代までの事を書いております。前にもそれらしい内容を読んだようですが、戦国七雄のうち、いわゆる三晋といわれる魏、韓、趙とその周辺の秦、楚、斉、燕ではまるで国家のあり方が違うようです。
 周辺四カ国は程度や国力の差は多少あれど、中央集権的支配が濃厚で重農主義なのですが、三晋は巨大都市が林立する都市集合体国家で重商主義ともいえる体質でした。
 兵士への評価も異なり、魏はエリート兵士重視なのですが、秦は軽装歩兵を主力とし、とにかく敵の首をとれっ。そうでなければ爵位は王族と言えども与えない。という考え方だったようです。
 秦が天下を統一できたのは、戦功をあげること飢えたる狼の如しという兵士や将軍たちによって波状的に、攻略する事が困難な三晋の巨大都市を数十年にわたって攻略し続け、ついに他の周辺国に先駆けて三晋地域を征服したため、相対的に国力が増し、ついには他国を圧倒して天下統一を果たしたといいます。
 逆に秦が滅亡した理由は、今まで都市の自治権を尊重されていた三晋地域の人々が、秦によってそれを奪われたために、何かのきっかけでそれが暴発し、秦の軍隊が鎮圧し切れなかったのではないかといいます。
 なかなか面白いですネ。
 秦の始皇帝の開始した中央集権は中華帝国の原型ですが、そのままでは中国を治める事ができなかったというわけです。
 同じことは近代中国にも言えて、毛沢東は何もかも押さえつけ、自分の思うままに動かし、結局中国経済を破綻させてしまいました。その後実権を握った訒小平は『改革解放』の名の下に、経済分野に限ってそれを緩めた為、現在の発展がなしえたともいえます。中国が経済的に発展した時代は、だいたい経済の締め付けが弱い時代、具体的に言うと北宋南宋の時代でしたから、時代が変わっても結構人って同じような事を繰り返すもんだと実感しました。