夏、夏、夏、夏・・・・

 昨夜、ビールを飲んでしまいました。だって暑かったんですもの〜・・・とかブリッ子してみる。ブリは旨いですよね。早くブリの旨い季節にならないかしらん・・・(現実逃避
 自分でキリ番踏み抜きました。イェーイ。このまま地球の裏側まで踏み抜きそうです。イェーイ・・・多少壊れてる。
 今日読み終わったもの。『戦国期の室町幕府』 今谷 明
 新鮮だった事は、松永久秀。下克上の代名詞と言われ、信長をして「この世で為しがたき三つの事をしたやつ」と言われた彼ですが、どうも言われているほど実権はなかったようです。発給文章からすると彼が主君の三好長慶の立場を超えた事はなく、三好三人衆と内紛は起こしても大和の戦国大名という立場以上の権力は握れなかったようです。しかも彼の三大悪行の一つ、足利義輝暗殺も三好氏としては結局そこにいたるしかなかった政治的理由があるようです。つまり、足利将軍をいくら追放し、幕府官僚を取り込んでも京を含む山城を掌握する事ができなかったこと。中世的な荘園領主たちの利権を奪いきる事ができなかったという事らしいです。
 三好長慶織田信長以前に畿内を掌握し、足利将軍を追放。独自の政権を打ち立てる事に成功しますが四年あまりで破綻。結局摂津の領国に後退し周囲の諸勢力との戦いに消耗していきます。それを乗り越える事ができたのが織田信長の政権だった訳ですが、三好が失敗し織田が成功した理由と言うものを探れば、戦国時代も見通しが良くなるかも知れません。たぶん畿内に駐屯する軍の維持を東寺という中世権門に頼らなければならなかった経済的名脆弱さが原因かも知れません。信長の場合は割りと同心円的に岐阜、北伊勢、南近江と徐々に京に領国を広げて長期的に畿内でも活動できる体制があったようですし。。。三好の本国である阿波、讃岐と織田の本国である尾張の経済力の差もあるかも知れない。壬申の乱の古代から近世にいたるまで、濃尾地方は畿内政局を左右する大きな要因でありましたからね。
 自分が知らない事を読むのは、楽しいですわい。