しめっぽいです。

 梅雨って天候です。当たり前か。『サムライ7』を見終えて、『サムライチャンプルー』の方が楽しい・・・。やっぱ『七人の侍』の方がおもしろいなぁ。納得できるし。話の流れを無理矢理やっている感じもするし、なんちゃってサムライに日本人まで毒されている印象。
 侍の語源の一つの『侍品』というのがあります。朝廷の位階で六位以下の最下級の位しか持たない人たちで、朝廷や殿上人の側に「さぶらう」つまりお仕えする人々であります。侍の実態は平安中期から始まる、地方の『自力救済』原則で武装した集団からでしょうか。それをまとめ上げたのが国司として地方に下った貴族達で、特に軍事貴族という名称があるそうです。最初は藤原氏、あとから臣下に下った皇族である平氏や源氏です。もっとも都に残る藤原氏も多いように、ミウチ政治の担い手として元皇族の平氏、特に源氏も中央政界で平安中期以降活躍します。
 当時の政治的まとまりは『藤原氏』とか『源氏』とかの氏族的なあつまりではなく、婚姻関係から結ばれた『ミウチ』を基本にしたもので、藤原道長などは自分の兄弟一族よりも妻の一族(源氏なのですが)と深いかかわりを持っていたようです。
 そういった中央の貴族たちに武力を提供する代わりに、地方での便宜を計らってもらうのが軍事貴族らしく、藤原純友平将門はそういった政治の綾で『失敗した』連中のようです。彼らを討伐した側も、一歩どころか半歩外れれば反乱者になるのですから。つーか、武力衝突をして中央のお墨付きをもらえた者が官軍、そうでないのが賊軍って色分けのようです。平将門はつっぱしって関東に独自の権威を打ちたてようとしましたが、失敗しました。
 『自力救済』から想像するように中央には地方を法的に管理する能力はなく、自分の腕っ節だけが頼りの時代が平安中期より始まっていました。主従関係はありましたが中世ヨーロッパと同じく複数との契約関係です。馬鹿な主人に従えば一族の権利が失われるのですから当然のこと。
 基本的にこの空気で戦国末期まできて、現在の侍像ができるのは江戸時代。大変支配者に都合のいい連中ですな。『七人の侍』こそ『なんちゃって侍』の原点なんですが、(戦国期の農民は、あんなにやられっぱなしの連中じゃないし、半農半士もたくさんいた。一揆も名のある武将が率いていない寄り合い所帯の色が強いだけで、戦力的には大名と遜色ない。むしろ大名の中には一揆の上に担ぎ上げられた存在に近い奴もいた)そろそろそういうのとは違ったテイストも欲しいですねぇ。
 大河ドラマの戦国武将主人公が口々に「平和の為・・・」というのはサボイボが立つ!連中にそんな考えがあったなんて、とても思えない・・・。