あ、今日はありますよ

 読み終った奴。昨夜は異常に眠たかったので十時半に寝床に入ったのですが、本を読み始めたら眠くなくなりました・・・おいおい・・・
 それはさておき、読み終ったのはそれとは別の本です。

高一族と南北朝内乱 (中世武士選書32)

高一族と南北朝内乱 (中世武士選書32)

 先日もちょろりと書いたけれども、著者は高師直が好きでタマラヌー、という人です。確か(オイ
 高師直と言えばバサラ大名の代表格で保守的なものを否定する『下剋上』の代名詞的な扱いをされているのですが、足利氏執事である高一族はそうでもなく、どちらかというと鎌倉時代以来のシステムに乗っかって、そして対応しきれなくなり衰退した、という一族のようです。
 鎌倉時代の足利氏は北条氏に次ぐ巨大な家政機構を持つ大規模御家人でした。足利荘、上総、三河を中心に分散した領地を多数持ち、それぞれ奉行人が監督し支配していたのですが、それを行っていたのが高一族でした。たとえるなら、足利というオーナー一族の代わりに会社経営の実際を担っていた経営責任者一族、みたいな。
 その為に、足利家の家政に乗っかって指示、軍事指揮権を握る事はあっても自身の領地を増やす事に熱心ではない、というか、そんな暇がない、というのが実態。時に南北朝内乱期は戦争、行政と大忙しで、他の事を顧みる事ができない。
 『戦に強い』というイメージから高一族は戦闘民族という印象があるのですが、実際は有能な官吏的性格の人々であり、戦争に強いというのは師直、師泰兄弟以外にはいないという。それもあだ花的な。
 他の守護大名たちは失脚したとしても再び返り咲きを果たす事が多いのですが、高一族は中心人物が全滅した途端に失速します。これも他の守護大名たちが自分の領地化に熱心であり、国人の被官化に積極的であったのに対し、高一族はそういった面で消極的であり、役職を全うできなかった場合、守護を取り上げられてしまったら何もかも失ってしまっていたから、だそうです。
 そういえば観応の擾乱で尊氏派となった武将にはそういう傾向が強くて、結局室町期には代表的な勢力ではなくなっている例がほとんどなんですよね。あ、赤松や京極は違うか。
 少しイメージが変わったな、というそんな印象です。