家康のこと。
この四月に秀吉のことについて町内の勉強会?みたいなもので話したので、『三英傑』を信長、秀吉と語ったから、最後の家康の準備をするかな?いつ、オファーがくるのかしらんけど、という事で、こんな本を買いました。
- 作者: 日本史史料研究会,平野明夫
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2016/11/02
- メディア: 新書
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家康の評伝とかだと、ちょろっと触っておしまいなんですよ。んで『三河一向一揆』については新行紀一という方の論文が嚆矢らしいのですが、愛知県図書館の書棚にはない・・・愛知教育大学の名誉教授の著作なのに・・・
なので、まぁそれが載っているなら買ってもいいかな、と。
んで確認したところ、一向宗・・・つまり浄土真宗本願寺派は商人を檀那として発展した宗門で、戦国大名との対立はだいたい経済上の利害対立から始まっています。宗教的なものには江戸時代になってから言いたてているみたいです。
んで今川氏からの独立をはかった頃の家康が一向宗門徒と対立した背景も、寺の不入権、つまり免税特権が絡んでおり、地域権力として、もっと簡単に言うと戦国大名として脱皮しようとする家康にとっては避けては通れない道でした。曾祖父信忠の代から松平氏は戦国大名化を試み、そして挫折を繰り返してきましたから。
ちなみに信忠は非器用、つまり指導者として役不足として早々に隠居させられ、その子清康は心機一転して親から独立していきますが、その過程で(おそらく)一族間対立を原因とする陰謀で暗殺。広忠は幼少期は大叔父により幽閉状態でしたが、今川氏と結託した家臣の力により家督となりますが若死に。家康は今川氏一門に準じる扱いを受けつつも、今川氏の武将として育てられます。
それを振り切っての独立ですが、桶狭間の戦いにより今川氏権力の箍が緩み、一番の遠隔地である西三河の『国衆』として今川に味方するよりも織田に味方をした方が自身の地位、勢力が安定すると判断しての独立でしょう。
他にも色々書きたいことがありましたが、お、今年最大のGを発見。叩き潰したところでお開きに。
ああ、そういう季節になっちまったのねー。