無為であった
昨夜はですね・・・ブラウザゲーの新しいイベントに頭を抱えて対応を考えているうちに、いたずらに時間だけが過ぎましてね・・・何もやっていないという・・・もちろん、艦これとか、そういうメジャーなゲームではありません。低課金で必死にキャラを育てるとこが好きなのですが・・・今回のイベントは・・・くっそ!!ン万円つぎこんでしまったではないか!!自分のバカバカ・・・とは、毎月繰り返している常態デス(オイ
それはさておき、読み終わったもの。
- 作者: 平瀬直樹
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2017/03/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
ただまぁ、大内義弘って誰やねん?って人が大勢で、簡単に言ってしまえば、彼と彼の父弘世の時代に、室町期から戦国期に西国に大きな勢力を誇った大内家は確立し、義弘が拡張した勢力圏、北九州から山口、島根と広島の西半分が大内家の基本的な勢力圏になります。
興味深かったのは応仁・文明の乱で西軍主力として活躍した大内政弘の代には、彼らの本拠地山口に家臣団の集住がある程度進んでおり、戦国期に下らずとも家臣団の領地からの離脱(というのか?)が始まっていた、という事です。これで大内家の滅亡原因となった陶晴賢を中心とした同族家臣団の謀反成功の原因究明が進めば、大内家の支配体制が理解できるのではないかと思うのですがね。
本質的に強大化した大名家は交易の中心地を直轄地にし、そのみかじめ料的な賦課銭が経済力の源泉になった印象があります。三好家しかり、織田家しかり。同じように大内家も博多や関門海峡、そして瀬戸内海の海賊拠点を掌握し、金銭を収集していた事が大きな勢力を築く源泉となったのは間違いないのですが、では何故、その経済力で家臣団を引き付けていた筈の宗家が家臣団に背かれ、滅んだのか(家臣団側は当主の首のすげ替えだと理解していますが)、それが疑問ですよね。
大内義弘、というよりも大内家自体の研究が進むことを期待します。